2016年7月5日火曜日

雑感

今、グーグルクロームを使ってヤフー、聖書検索、黒崎幸吉注解書、グーグルマップ、グーグル×2が最初から出るようにしている。幾つか検索する時には便利である。他にもっと便利なものがあるのだろうがパソコンにそれほど詳しくないので他を試す余裕はない。Webのメカニズム?はよくわからないが時々個人のパソコンなんて彼らから見たら鍵の掛かっていない家のようなもので簡単に入って来れるのだろうなと思わされることがある。泥棒が入っても持って行くようなものが無い我が家だからパソコンも然りであるが、しかし、簡単に奥の奥まで入って来られると思うと怖い。

Webにすると最初にヤフーが見えるようにしてある。ここは国際、国内、経済、スポーツ、芸能と大体一つづつ載っている。興味があればアクセスすればより詳しく見ることが出来るしその関連も見ることが出来る。新聞では大見出しの部分に当たるのだろうか。新聞のように細かく書かれていないが広く浅くで丁度いい。ブログやネットで検索しているとパソコンと向き合っている時間がつい長くなってしまう。それと新約概観をもう一度と本を広げたが字が細かいのと集中力が求められるので根気が続かない。つい気分転換にと他にアクセスしてこれの方がはるかに長くなってしまう。一週間前に始めたのにまだ数行である。

ダッカの事件で亡くなられた方が遺体で戻ってきたニュースが流れていた。多くの方の悲しみと憤りを誘っている。そして、母が子供を刺すという無理心中のニュースが、また、母親が幼い自分の子供を虐待することも、これらを見ているとつい顔を曇らせてしまう。最近些細なことで人を殺してしまうというような事が多いような気がする。世の中、心にゆとりがなくなって来ているような気がしてしょうがない。個は益々疎外されていく、日の当たらないところは更に当たらなくなる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的発想で滅びに向かおうとしている流れが見える。底辺に生きるキリスト者として何ができるのだろうか。一つに祈ることであろうが祈りは不信仰な者に時には無力極まりないように思わされる時がある。ヤコブのような祈りが求められるのかもしれない。自分の証しが主が無力であるかのようにしている。反省を込めて…。