2016年12月21日水曜日

クリスマスチャペルコンサート

義姉の幼友達が岡谷合唱団に参加している。どこでもそうだが合唱団も高齢化と発表する場がなくて苦労しているらしい。それでか教会とコラボ?して「クリスマスチャペルコンサート」なるものを催している。今年で三回目とか教会では恒例になっているようだ。彼は叔母の法事とかで参加できないので聴きに行ってほしいと言われて案内を貰ってきた。折角案内を頂いたので聞きに行って来た。プログラムは一部と二部があって、一部は「日本のうた」二部は「クリスマスのうた」その間に牧師のお話があった。

牧師の話はマタイによる福音書2章10-11節より東方の博士の訪問から話されたがクリスチャン向けに語られたり、ノンクリスチャン向けに語られたのかと思うようなどこか中途半端な感じを受けた。もしかしたら聞かれる人の聖書をどれだけ知っているかが掴み兼ねたのかもしれないなと思ったがどうだろう。聞く者のサイドで話すか聖書をストレートに聞く側の聖書知識の云々を無視して話すかで大分違うなぁと思った。後者は福音を語っているようで自己満足的になりやすい。それと福音的な教会なのに今も口語訳聖書を使っているのには驚いた。聖書協会だと共同訳があるのにと思ったが事情があるのだろう。

一部日本のうたで最初とアンコールで歌ってくださった「ほらね」は初めて聞くが東北震災の歌だそうだ。そして「里の秋」、「小さい秋みつけた」、『重なりある手と手」、「花は咲く」、「この道」、「麦の唄」と歌ってくださった。ハーモニィがとても良かった。最後の曲はどこかで聞いたようなメロディだなぁと思ったら朝ドラの「マッサン」の主題歌だった。懐かしい歌、初めての歌、色々でよかった。

二部クリスマスの歌は「きよしこの夜」、「子らよほめまつれ」、「荒野のはてに」(讃美歌78)、「さかえあれ まことの おんからだ」、「すばらしい恩寵」(アメイジンググレイス)、「さやかに星はきらめく」、「ハレルヤ・コーラス」そして賛美歌86「み使いのたたえ歌う」、112「諸人こぞりて」、103「牧人ひつじを」、109「きよしこの夜」と最後は全員で合唱、そしてアンコールを歌って終り。

ピアノの演奏も合唱もハーモニィが大切、ハーモニィは神からのものであることを実感する。クリスチャンでない人が賛美歌をと?を呈する人がいるがそれも一理あるが美しいものは美しいではないだろうかと思う。それを醸し出すのは神なのである。知らないで神を賛美している人もいるだろうし明らかにノンと思って歌っている人もいるだろう。「青銅の基督」にあるように想いこみはよくない。いいものはいい、悪いものは悪いでいいと思うが…。わがクリスマスと比較するつもりはないがピアノ演奏と合唱の違いはあるが場所もメッセも私たちの方がよかったなぁと内心思った。勿論誇るつもりはないし余韻は両方とも良かった。

余禄として、帰り自転車で帰る若い男性がいたのでよく見たら下諏訪教会の牧師だった。駐車場まで少し話すことが出来たいつか交わりたい。24日夜クリスマス礼拝と案内をいただくが翌日に話の順番になっているので無理かなと…。