2016年12月4日日曜日

今月のみことばより


「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」
(イザヤ書53章1節~3節)

 彼は、田舎の女を母として、辺鄙(へんぴ)な村に生まれた。◆育ったのは別の村だったが、そこで三十になるまでずっと大工として働いた。◆それから、巡回の説教者として三年を過ごした。◆一冊の本を書くこともなく、事務所も持ったこともなく、家族も家も持たなかった。◆大学へ行ったこともなく、大都会に足を踏み入れたこともなかった。◆生まれたところから300キロ以上遠くへ行ったこともなかった。◆普通、偉大だとしてほめそやされるようなことは何一つしたこともなかった。◆彼には、自分を見てもらう以外に、人に信用してもらうための資格は何もなかった。◆まだ三十三歳のときだった。世間は急に彼を敵視し始めた。友人たちは、みな逃げ去った。友の一人が裏切ったのである。◆彼は敵の手に渡され、茶番としかいいようのない裁判にかけられた。そして、二人の強盗にはさまれるようにして、十字架に釘づけられた。彼が間もなく死のうとしているというのに、処刑者たちは彼が地上で持っていた唯一の財産、すなわちその上着が誰のものになるか、くじを引ていた。◆彼が死ぬと、その遺体は、彼を憐れに思った友人の配慮で、その人の墓に横たえられた。
◆それから1900年の時が過ぎていった。◆ところがどうだろう。今日、彼は、人類の中心を占める人物となっている。◆かつて進軍したすべての軍隊と、海を渡ったすべての海軍、開かれたすべての議会と、統治したすべての王たちを合わせても、この地上を歩む人類に、あの、ひとりの孤独な生涯ほど影響を与えた者はいまだにない。
            (ジェイムズ・A・フランシス)
        長野キリスト集会 12月号月報より

別訳(参考まで)

ひとりの孤独な生涯

彼は、世に知られぬ小さな村のユダヤの人の家に生まれた。
母親は、貧しい田舎の人であった。
彼が育ったところも、世に知られぬ別の小さな村であった。
彼は30才になるまで大工として働いた。
それから、旅から旅の説教者として3年を過ごした。
一冊の本も書かず、自分の事務所も持たず、自分の家も持っていなかった。
彼は、自分の生まれた村から200マイル以上出たことはなく、
偉人と言われる有名人にはつきものの「業績」を残したこともなかった。
彼は、人に見せる紹介状を持たず、自分を見てもらうことがただひとつの頼りであった。
彼は、旅をしてまわり、病人をいやし、足なえを歩かせ、盲人の目を開き、神の愛を説いた。
ほどなく、この世の権力者たちは彼に敵対しはじめ、世間もそれに同調した。
彼の友人たちは、みな逃げ去った。
彼は裏切られ、敵の手に渡され、裁判にかけられ、ののしられ、唾をかけられ、殴られ、引きずり回された。
彼は十字架に釘づけにされ、二人の犯罪人の間に、その十字架は立てられた。
彼がまさに死につつある時、処刑者たちは彼の地上における唯一の財産、すなわち彼の上着をくじで引いていた。
彼が死ぬと、その死体は十字架から下ろされ、借り物の墓に横たえられた。
ある友人からの、せめてものはなむけであった。

長い19の世紀が過ぎていった。
今日、彼は、人間の歴史の中心であり、前進する人類の先頭に立っている。
「かつて進軍したすべての軍隊と、かつて組織されたすべての海軍、かつて開催されたすべての議会と、かつて権力を振るいながら統治したすべての王様たちの影響力のすべてを合わせて一つにしても、人類の生活に与えた影響、人々のいのちに与えた影響の偉大さにおいて、あの『ひとりの孤独な生涯』には到底及びもつかなかった。」と言っても決して誤りではないだろう。


作者不明(関根一夫 訳)