2017年6月9日金曜日

諏訪湖一周



草刈りや畑で速歩をパスしているのでやや運動不足の感がしないでもない。プラスワンにキャスターを買いに行かなければならないのと岡谷市内に二か所ばかり用があるので自転車で行くことにした。プラスワンまでは登り坂、直登?は避けて右に左にと走る。それほどきつくはない感じがするのでホッとする。その後は下りか平坦、用を終えれば釜口水門の近く、湖周の1/4近くをクリアーしている。膝も快調のようだからここはひとつ頑張るかと走り始める。小坂観音の先あたりから旧道へ、ガラスの里を素通りして有賀方面へ、そして手前を左折して上川へ、上川を渡って諏訪の温泉街へと向こう。高島城を脇に観てさらに進んで文化センターへ、その中にある図書館に寄って新聞を読み、すぐ先にある片倉館へ、ここのHPから紹介すると、

「片倉館 諏訪」の画像検索結果
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左会館棟       右浴場棟

設立の背景
当時の片倉財閥当主、二代兼太郎社長は1922年~1923年(大正11年~12年)にかけて北中南米~欧州へ全行程約 8 万kmに及ぶ視察旅行を行い、その際ヨーロッパ各国の農村には充実した厚生施設が整っている事に強い感銘を覚えました。
我が国にもぜひそのような地域住民のための施設を提供したいと一族に計り、上諏訪に住民のための温泉、社交、娯楽、文化向上を目的とした片倉館が誕生しました。
特に当時のチェコスロバキア・カルルスバードに在った厚生施設に特に強い関心を覚えたようで自身の日記にも訪問体験を詳しく記し片倉館建設にもそのアイデアが多く採り入れられています。」

建物
「建物の設計は1897年(明治30年)東京帝國大学(現東京大学)造家学科を卒業、更に5年間同大学院で学んだ森山松之助氏(1869~ 1949)によるものです。」

特徴
当館は定型的な形式にはあてはめ難い個性的な建物で、強いて言えば1900年前後から30年代にかけて、アメリカ等で発展したゴシックリバイバルまたはロマンティックリバイバルに属すると考えられますが、細部に於いては窓、切妻、レリーフ、ステンドグラス等各時代、各国の様式が巧みに採り入れられ、しかもアンバランスを生じない非凡な設計が施されております。」

千人風呂の概要

「片倉館 諏訪」の画像検索結果
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天然温泉を豊富にたたえる大理石造りの浴槽は100人が一度に入浴できる広さ。深さ1.1mの底には玉砂利を敷き詰め、立つと心地よい刺激が感じられます。(幅4m、長さ7.5m)
またステンドグラスや周囲の彫刻、装飾もお楽しみいただけます。千人風呂は多くの方に親しまれている芸術のお風呂です。
多くの先人たちが好んで訪れた温泉で80年以上の年月が過ぎた今も価値ある存在です。

何度か入っているので古いという印象しかないが浴槽が広くて深い、底が砂利なので足に受ける刺激が気持ちいい。日中だったが人は多くはないが切れ目なく人が出入りしていた。
丁度浴槽に誰もいないのでチョット泳いでしまった。前からではあるがうつぶせで足をばたつかせても前に進まない。以前に水泳部に入っているO兄の息子さんにこのことを話したら笑われた。クロールで2,3回ターンしてしまった。幸い誰も入って来なかった。外に出たら観光客か建物をスマホで撮っていた。この建物は国の重要文化財の指定なっているので観光の名所でもあり、ホテルの宿泊客や観光客もここのお風呂に入り来ているようである。

オマケがあってロッカーに腕時計を忘れてきてしまった。すぐ気が付かなくて時計を置いているところに時計がないので忘れたことに気づく、幸い同じロッカーを使ったお客さんがフロントに預けてくれていた。感謝。最近でもないが手元から離すと忘れることが増えてきた。それと明日はゴミ出しと準備していても翌朝起きた時には忘れていてゴミの袋があるので思い出すということが多々ある。今のところ実害はないがそのうち出そうで気をつけなくてはと思っているが。しかし、この年になると私より若い方が亡くなったことを聞いたり、何かと身体の不具合の話を聞くと心身ともに守られていることに感謝している。これも主の恵みの一つであろうと思っている。

上諏訪の温泉街から我が家まで5km弱であろうか。ゆっくりぺタルを踏んで我が家に、いつもこれが最後かと思いながらまた出来たことに感謝している。