2017年8月24日木曜日

言葉


先日シニアの集りで霧ヶ峰のマレットゴルフ場近辺の清掃に出かけてきた。清掃といってもほとんどゴミのないところで一応やったという形だけのもの、それでも空き缶空き瓶が数個に名前は忘れたが外来種の草を含めると7-8袋位になり、草は近くの桜の木の周りに肥やし?として置いてきた。その後昼食まで時間が有ったので車山の下にあるニッコウキスゲの丘?に散策に行く、ニッコーキスゲはもう終わりかけて他の花がたくさん咲いていて、軽装の人や軽登山?の格好をした人たちが行き交っていた。愛でる心がないので花の種類は分からなかったがSさんがいつくか説明してくれた。唯一覚えているのは名前が短かったマツムシソウという青みがかった薄紫色のどこか清楚な感じがする花である。調べたらヨツバヒヨドリも説明してくれた。この花だけに遠く台湾あたりから来るアサキマダラという蝶が花の蜜を吸うらしい。花も枯れて萎れるものとそうでないものがあるがこの花は後者のようで群生しているとそれなりに綺麗だった。

その時にSさんが言った言葉なのだが彼女は4-5月前だったと思うが車を運転していて下に落ちたものを拾おうとして運転を誤って木かなんかにぶつけてしまった。車を買え替えるほどの事故で自分も骨折して入院するほどだった。ようやく動けるようになって集まりに参加できるようになったその時に私が記憶にはないが一言声をかけてくれたそうだ。その一言が「自分のことを心配してくれている人が居る」ということで元気が出てきたとお礼を言ってくれた。たった一言が元気づけになったことはうれしかったがフッと家内が良く言っている「あなたは一言多いから」の言葉を思い出す。短い言葉でも時には人を傷つけることがある。彼女に言われてうれしさよりも反省の思いがフッとよぎる。「神のことば」はゆるぎないものであるが「人の言葉」は意図しなくとも善と悪が含んでいる。