2017年11月16日木曜日

聖書雑感


新約をマタイ伝から読み始めている。聖書は何回読んでもその都度教えられるところ、フッと気になるところが違う。以前スッと読み過ごしたのに今回はチョット引っかかる等々である。

今回もいつも読み過ごしている14代、14代、14代にチョットひっかかった。いつもマタイの数字合わせ(失礼)位に思ってさっと読んでいたが今回は「時」ということを考えてフッと思った。

若い時に信仰を持ち、人生もそう長くはないであろう歳になって色々というほどではないが教えられていることがある。信仰生活においても今の若い人たちがすでに学んでいるものを自分は半生をかけてようやく学ぶことができた。あるいは彼らが学んでいて自分は学び得ないことも教えられている。羨ましくないと言えばうそになるがそれより他人事であれ学び得てよかったなぁという思いが強い。主はパウロに、
わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。(2cor:12: 9)
とあるように、「あなたに十分である。」とは私にも適用される。ナイナイづくしの人生でも今生かされ教えられていることに感謝している。正直あれもこれもという思いはありますが…。

アブラハムから始まったイスラエルの歴史を見てもイエス様が来られるまで20世紀近く要した。イエス様が再び来られるのもそれ以上必要とされるのだろう。多くの「時」を得ないと人は学び得ないのである。それを自分に当てはめている。若者が学び得ないであろうことが老いであるが故に学び得るということもある。今自分がその時であることを覚え、些細ことでも謙虚に学ぶ姿勢を得たいものである。