2017年11月16日木曜日

LINE


孫の写真が見えるようにと私がスマホを持っていないので息子がパソコンにLINEを入れてくれた。去年の暮れだったと思う。入れた途端にと言っても息子がやっていたのだが「下諏訪のSさんですね」と入ってきた。知っている名前の人はいるけどその人かなと春に会った時に聞いたらLINEはやっていないというので誰だろうと思いながらそのままになっていた。最近孫の写真を送って来ないのであまり開けることがなかったが偶々もしやと開けたらまた「秋田のIです。来月一杯東京に居ます。今年のクリスマスは10日?都合ついたら行きたいなぁ…」と丁度開けた日に打ってくれていた。岡谷に居たときに隣に住んでいたIさんだった。分かったので家内が電話をしたら息子さんに二番目の男の子が生まれてその手伝いに東京の池袋に来ておられるとのことだった。秋田に帰られてもう会うこともないかなと思って住所も聞いていなかった。孫の送迎があるみたいで来れれば高速バスで日帰りとか、お会いできればうれしい。それに今年のクリスマスは人が少ないかなと思わされているので来てくれるとこれもうれしい。駄目かなと思っていた人もご主人は実家に用があって来れないが行けるというメールをいただいたから一人二人と増えて来るかもと期待はしているが…。

今はパソコンなんて古い?スマホでLINEでと便利になっているようだが使えなかったらどうしようもない。文明の利器はどんどん進むが我が頭はどんどん衰えて来る。ただ眺めているだけになって行くようである。

思えば小学生の頃に新潟博覧会なるものを学校で修学旅行のような形で行った。汽車も蒸気で気をつけないと煤が目に入ってくる。そこで関心を持ったのはガラス窓を隔てて、一枚の写真をかざすと隣のブラウン管からその写真が映し出される。不思議そうに眺めていたら係員が得意そうに「その内これが動くものも映し出される」と言っていたことを今もよく覚えている。数年後にTVが登場し現実となった。思えば手塚治虫?だったかの漫画には未来の都会の漫画で空中を車が走っていたり、高いビルが並んでいたりと今高速道路や都心の高層ビル群がそうである。子どものころ夢のようなことが今は現実となっている。まさに隔世の感ありである。そのような時代に育った者が出来る出来ないは別にしてもそれを目にするだけでも「良し」とすべきであろう。ただそれが幸せかどうかは別であるが。田舎にいたころはクリスマスもろくに知らない者だったが聖書に触れ、今キリスト者として生かされていることは時代における「隔世の感」の比ではない。ただそれだけで感謝なり、恵みなりである。