2017年11月30日木曜日

聖書雑感



john 9: 1
さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。

9章は41節あるが全体が一人の盲人とイエスさまを含めて彼に関わっている数人の人達が登場するのみである。

まず弟子たちである。
「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
と質問している。
彼らの関心は「誰の罪で彼は盲目になったのか」のようである。イエス様と一緒にいるなら癒しを見ているのだろうに「哀れに思って目が見えるようにしてください」くらい言えなかったのだろうか。その人の側に立って何が大切であり何が大切でないかを考えるべきだが往々にしてそれは二の次になり易くどうでもいいことで議論してしまいがちになる。心しなければと思わされる。

弟子たちの質問に対してイエス様は、
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現われるためです。」
イエスは、こう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そしてその泥を彼の目に塗って、『行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。』と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」

イエス様の癒しにはことばだけで癒される時とこのようにして癒される時とがある。なぜだろう。
ここを読んでいるとナアマンがエリシャにヨルダン川で七たび身を洗いなさいと言われて、仰々しく行って癒してくれるものと思っていたから激怒する。しかし、しもべたちに諭され、言われた通りにすると彼の体は元どおりになったことが第二列王記の5章に記されている。
「信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」(ロマ10:17)のみことばを思い出す。単純に聞き従うことは簡単なようで難しい、その大切さを教えているような気がする。

近所の人たちや彼を知っている人たちの驚きは想像に難くないが落語に出て来る長屋の連中と変わらない。喜んでくれるより、「何で、何で」と好奇心の方が強く、時の指導者的立場のパリサイ人のところに連れて行くのは当然か?

「イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。」とある。

イエス様は挑戦的である。シロアムの池もイザヤ書にこのような個所がある。
「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水を拒み、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる。」(8:6)
シロアハはシロアムであり、レツィンはアラムの王、レマルヤの子はイスラエルの王ペカである。神を捨てて、彼らと同盟を結ぼうとしている姿をイザヤはこのように嘆いている。

泥を塗るのも労働であり、麦の穂を手でもむのも労働である(ルカ6:1-2)
「あなたがたは神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っているのです。」(マルコ7:8)、「あなたがたに尋ねますが、安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか」(ルカ6:9)とイエスさまは言われた。
安息日でなければ何も問題が起こらなかったであろう。ある種の問題提起である。イエス様はこのようにして隠された本質を明らかにされる。
信仰的なものであると信じていたものが実は単なる昔の習慣であったりすることがある。或いは信仰として決断したことが単なる自己義認であったりすることがある。心しなければならないことがここにもある。

パリサイ人が両親に彼のことを聞こうとしたとき、両親は、このように答えている。
「しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」(9:21)と係わりを避けている。両親は会堂から追放される(22節)ことを避けるためにこのように言ったようである。両親を責められない。自分の中にもこのような姿をよく見かける。面倒なことに関わりたくない。不利になりたくないまことに不信仰である。

癒された盲人を見ると彼の側にいたのはイエスさまだけで親を含めて皆彼の対極にいたことがよくわかる。彼の姿は自分であり、弟子や近所の人は勿論、パリサイ人も両親もわたしでもある。