2017年12月4日月曜日

聖書雑感



1john: 1: 1
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

ヨハネは福音書で
john: 1: 1
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

「ことば」、「ことば」、「ことば」とことばが続く、言うまでもなくイエス様のことである。「あらゆるものの初めにイエス様はおられた。そして父なる神とともに、この方は神であられた。」と、誰にも何も言わせないほどの気宇雄大さをもって宣言しているといってもいいのではないだろうか。


そしてヨハネは手紙の中で静かに語りかけているかのようにイエス様のことを語りだしている。天地創造の初めから居られた方であり、ことばにいのちを持っておられる方が語るのを私はこの耳で聞き、この目で見、そしてこの手で触ったと告白する。それは疑いようもない事実だと宣言しているようなものである。私たちにとっては信仰を必要とするものであるがヨハネにとっては現実なのである。そこにに強い説得力がある。

一世紀も終わりになると今日と変わらない異端が忍び込んできていたようである。そのような時にイエス様と共に過ごされたヨハネの言葉はどれだけ人々を力づけたことであろうか。

五感をもってイエス様を覚えることができたことは信仰が揺らぐ時にフッとうらやましさを覚える時がある。