2018年1月1日月曜日

きのう、きょう、そしてあす


「一年の計は元旦にあり」の言葉がある。余程意志の強い人でないと計画倒れに終わるのではないだろうか。ほとんどの人は計画を立ててもそれをやりませんと宣言しているようなものである。ならば逆手に取って流れに身を任せて生きるという手もある。しかしこれも結構しんどい生き方でもある。流れに身をまかせているようで世の中の流れに逆らっていることが多いように思う。

「…夕があり、朝があった。第〇日。」と聖書にある。昔ラジオ番組で「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日」というのがあった。今日という日があることは昨日があるからで今日があるから明日がある。という連続性の中に生きていれば新年というのもなんだなぁと思ってしまう。「越すに越されず越されずに越して」しまった年の暮れ、新年もその延長になる。そして一年もそれを踏襲するのではないだろうか。新年早々炬燵に入って下記のみことばを思い浮かべながら思案している。



isa 9: 6
・・・その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。