2017年12月31日日曜日

今年も


大晦日になると思い出す言葉に落語の枕に語られる。「大晦日越すに越されず越されずに越す」の言葉を思い出す。庶民の哀感が伝わってくるが今の人たちにはどのような意味か分かるだろうか。

年の終わりに一年を振り返ってという思いはあまりないのだが今年は老いを実感させられたのでいつもとは少し違っている。それは新たな旅たちの思いが起こされているからだろうか。若い時と違ってあらゆるものが失われて行く、それも加速度的に…。嘆く必要はないそこを充足するものは主であるから…。

と書きながら鬱的なものがあるからこれが出ると前向きに生きていけない。落ち込むのである。今年はそんなことを経験させられていた。肉的な弱さとの葛藤がその度合いを増していくであろうから主にすがって生きる「生きざま」を見栄もなく表して行かなければと思わされている。老いを嘆くことは誰にでもできるが老いを喜ぶことは信仰者の特権である。あと十数分で今年も終わり来年になる。色々な形で主に守られたことを実感することが出来て主に感謝し、来年の話は来年に…。