2024年4月19日金曜日

聖書雑感

 ようやくイザヤ書の前半39章を読み終えた。
 前半最後の章の出来事はどこか意味深な感じを受ける。そして良し悪しは別としてどこか共感するのである。
 列王記や歴代誌を読むともちろん例外もあるが多くの王は神により頼まず近隣の列強国により頼んでいる姿を見る。聖書を読む者にとって机上で考えれば何でと思うかもしれなが現実を見ると唯一の神に信頼するということはそれなりの信仰を必要とする。痛みも伴うだろう。栄華を極めたソロモンではないがその栄華を持続するために神を従属的な神に成り下げてしまったのではないだろうか。
 ヒゼキヤは快気祝いに来たバビロン王の使者に対して単純に喜んでいる姿はこの緊迫感のなさは何なのだろうと思ってしまう。深刻さが見えないとこんなものなのだろうなと思いながら自分とダブる。
 34章の神の裁きと35章の新しい国のありようを見る思いがするが現実のイスラエル、ロシアのウクライナ侵攻などを観ているといつなのだろうと思案する。