「石をパン」に、「神殿の頂から地上」に、「地上の栄華」をと悪魔は語られた。これは適切な言葉が浮かばないが「能力」「カリスマ」「権力」と捉えわたしたちが持ちたいと思っても持てないものである。これに独裁者がチャレンジしてきた。しかし、張子の虎のように終わっている。キリスト者でも行きつくところは異端で終わっている。わたしも求めたいがこの三つは対極にあるもので望むべきも非ずである。
わたしたちを生かすものは「神の口から出る一つ一つのことばによる」そして「主を試みてはならない」と、信仰持って半世紀以上、ここまで守られて来たと思いながらも波間に漂う木の葉のような定まることを知らない信仰の薄き者である。「主を拝し、主に仕える者」でありたい。