2024年4月24日水曜日

三つの試み

 共観福音書の中にイエスさまが公の活動をされる前に悪魔から誘惑を受けたことが記されている。捕らえられる直前のオリーブ山で「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた」とルカは記している。へブル4:15に「罪を犯されなかったが私たちと同じように試みにあわれた」とも書いてある。悪魔はイエスさまが人として来られたが私たちのように罪を犯すことはないことを知っていたはずである。なぜ試みをなし、マタイやルカは詳しく書いたのだろうかとふっと思った。これはわたしたちに語られたメッセージのように思えた。
 「石をパン」に、「神殿の頂から地上」に、「地上の栄華」をと悪魔は語られた。これは適切な言葉が浮かばないが「能力」「カリスマ」「権力」と捉えわたしたちが持ちたいと思っても持てないものである。これに独裁者がチャレンジしてきた。しかし、張子の虎のように終わっている。キリスト者でも行きつくところは異端で終わっている。わたしも求めたいがこの三つは対極にあるもので望むべきも非ずである。
 わたしたちを生かすものは「神の口から出る一つ一つのことばによる」そして「主を試みてはならない」と、信仰持って半世紀以上、ここまで守られて来たと思いながらも波間に漂う木の葉のような定まることを知らない信仰の薄き者である。「主を拝し、主に仕える者」でありたい。