2024年8月30日金曜日

たとえそうでなくても

 今ダニエル書を読み始めている。エゼキエル書より読みやすいがダニエルたちの信仰と我の落差を示される。
 足の不自由さはそれほど苦ではないが普通に歩きたくとも歩けないと同様に何かをしたいけど諸々の事情で出来ない。それが枷となって自分の思い行動が制限されていることを教えられる。無視してもいいのかもしれないがキリスト者としてそれも出来ない。でも現実にそれが出来ないと相矛盾した心の葛藤がある。ちょっとオーバーかな?
 ダニエルたちは揺るぎない信頼を神においている。「たとえそうでなくとも」(ダニ3:18)と告白することが出来た。自分を含め周りを観ていると信仰的であるように見えるが実は色々な形で守られているからではと思わされることが多い。ヨブのような告白は自分はしたことはないし他の人からも聞いたことがない。色々な形で守られて神に感謝し賛美はできるのであるがそうでなくなると神が見えなくなり、時には呪ったりする。
 救いを強調するとその辺がおろそかにならないだろうかと懸念する。事実、病気になったり、色々と解決しない問題を抱えている人が離れて行くのを観ている。そんなのを観ていると「イエスはキリスト」と告白して受け入れた者であってもどこかご利益的な信仰なのかなと思わされることがある。そうならないためには・・・。