2017年5月20日土曜日

今日この頃


気になりながらもブログ更新は足踏み状態である。この間M兄が来てくださったので礼状をと書き始めたが途中から文章が浮かばずそのままで一週間になろうとしている。多分そのままで終わりそうだ。彼は今ある国の東北部に行っている。密かにか大胆にか福音を語っているはずである。以前ほどではないとはいってもあの国はかつてのある国の戦前と変わらない国である。だから心配している。留学生だった人たちが家族に福音をとの願いで行かれた。不安と恐れと期待の中で祈っている。その所為にしているが明日短いメッセージを話さなければならないのにこんなことをしている。

その所為ではないがお気に入りのブログもパスしている。畑も何となく気持ちが中途半端でもある。時々写真を撮るのだがいつもカメラを忘れてこれがほんとの「後の祭り」を繰り返している。それとI姉妹のお母さんが種から育てた玉ねぎの苗を頂いたが行けなくてやっとこの間植えた。時間が無いので牛糞鶏糞を撒いてから一週間くらい置くのだが黒マルチを被せて植えてしまった。苗も直径1mm位が太くて中にはボールペンの芯位しかないのでどう育つか2/3くらい育てばと思っているがどうなるか楽しみでもある。コツコツやるのが苦手だから畑仕事は苦手である。それに15分もかけて出かけるからこれもつらい。歩いて数分位だと忘れ物をしても引き返せるし水もマメにやれる。家内は時間が有れば黙々と雑草を取っている。私は鍬で削っておしまいである。野菜を作るというのはマメで忍耐がいる。インゲン・ミニトマト、それにキュウリなどは獲れ出すとたくさん獲れるからそれを獲るのはそれほど苦でないのだが…それまでが…。忍耐を養わなければならないのだろうがその前に「主の忍耐」を我が忍耐の無さを通して教えられている。主の前に脱帽。大きな群れにいたら何もしないだろうから小さな群れにいて訓練されるのもみこころなのかもしれない。「今年は」と思いながらもう一月で半年である。どうも「今年も」になりそうである。

否、進むものも増えている。難聴、老眼、物忘れと自覚症状がある。まだ元気だからこんなことを書けるが運転もままならぬほどになると深刻で一気に落ち込む可能性もある。主はあらゆる方法で私が主に心を向けるように算段してくださっている。肉は喜ばないがみこころを知っているので何とか受け止められていけると思っているが…。今日はこれまで以上。

2017年5月15日月曜日

我が家の前のリンゴの花

摘んで

我が家のボタン

一日で

信毎レガッタ


5月13日、14日でしたが13日は雨で中止、他県からも大勢来られていました。年に数回賑わうその一つ、ボートもルールも何もわかりませんが只賑わっているので…。


2017年5月13日土曜日

久しぶりの速歩


このところまた歩き出した。と言っても昨日と今日(12日)であるが、日も延び暖かくなったから夕方でも歩ける。後半になると少し汗ばむ程の陽気になった。運動不足を少しでもカバーしようと荷物のない時は自転車に乗ったりしている。実は3か月ごとに高血圧と中性脂肪の薬をもらっている。その薬が無くなりかけてそのうち医者に行かないといけない。運動不足だとてき面中性脂肪が上がるので正直このくらいの運動では下がらないのだがそれでも悪あがき的にこんなことをしている。それと帰り道には歩いている歩道のゴミ拾いをしている。昨日は岡谷側だったからゴミが多かった。家もなく人の通りも少ない所為かゴミが多く空の弁当が捨ててもあった。今日は田中線寄りだからこちらは家が並んで人も割と多いからかそれほどでもない。それでも相変わらずタバコの吸い殻が多い。昨日は岸辺にまとめて捨ててあった。我が家以外はゴミ箱的発想かと少しあきれる。それとその古さでゴミ拾いをしていなかったことが分かる。岸辺もゴミが散見するが28日に一斉清掃をやるのでやめている。今回は参加しようかなと思っているがどうなるか。それとまた魚の死骸があちらこちらと目にするが昨年のようなワカサギの大量の死につながらないだろうかと心配だ。

2017年5月12日金曜日

今月のみことば



「私たちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。」
(コリント人への手紙第二 12章8節 口語訳)

 誰にも解くことの出来ない、その複雑で堅い結び目を解いた者こそが世界の覇者となる、という神託のあったゴルディオンという都を、遠征中のアレクサンドロス王が訪れた。王も挑んだが、やはり解くことが出来ない。すると王は剣を抜き、その結び目を一刀両断に断ち切ってしまった。そして文字通り、アレクサンドロスはその後まもなく世界の覇者となったのである。◆あれ九段℉ロスの剣ではないが、複雑に絡み合った問題を解くヒントは、意外にも身近なところにある。たとえば、緊迫が伝えられる北朝鮮問題だ。◆「建国の父」と謳われる金日成は、本名は「金成柱」で、スターリンの後押しを受けて指導者に担ぎ上げられ、知名度不足を補うために、1920年代に活躍した実在の将軍、金日成になりすました人物である(ジャーナリスト池上彰氏による)。つまり、北朝鮮の建国物語は国家規模の虚構の上に成り立っている、ということだ。この事実が広く行き渡るだけでも、軍事力に優るインパクトがあるのではないだろうか。◆また、「森友学園」問題で急にクローズアップされた教育勅語であるが、この教育勅語のもとで、多くの尊い命が失われたことを忘れてはならない。それは、このような一節が巧みに挿入されているからである。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい-身を捧げて皇室国家の為につくせ)◆国家にとってなんと都合のよいことばであろうか。これも調べみればすぐ分かることであるが、「教育勅語」は天皇の言葉を装った、井上毅と元田永孚の、いわば合作による作文にすぎない。怖れ多くも天皇陛下のおことばである、という演出が盛んになされたからこそ国民を戦争に駆り出すのに有効だったのであって、成立の真相を国民が知っていたならば、歴史は大きく変わっていたかもしれない。◆5月3日は憲法記念日。莫大な犠牲を払って国民が得た憲法の大切と価値を改めて覚えたいものである。
長野キリスト集会 月報5月号より

2017年5月10日水曜日

連休に


「連休に予定がないなら手伝って」と息子から電話があり、特別用事もないので何をするのか確かめもせず上京した。要は物置代わりに使っている部屋に棚を作って物を効率よく整理したかったらしい。それにも理由があって仕事上の試験がありその勉強のため自分の部屋を含めて整理したいとのことだった。自分の部屋も足の踏み場もない状態でどこまで出来るのかと思いながら…。昨日別の用件で電話したらまぁまぁと言っていたから整理・勉強はそれほどでもと思わされた。

三日の朝9時前に家を出る。諏訪インターから高速に入り、連休後半、上りは少し多いかなと思わされたが下りは少ない。しかし双葉ジャンクション手前で車の接触事故か一台が横転、一台は反対方向に向いて止まっている。救急車がサイレンを鳴らして走って行った。怪我人が出たのだろう少し大きい事故ようだ。それから少し走ったらまた事故車が斜めに止まっていた。こちらも救急車が来ていて怪我をしたのか担架に載せられるところだった。車が少ないと思ったのは事故で通行止めになっていたかららしい。渋滞は延々と甲府南近くまで続いていた。それとジャンクションから合流するところと双葉のサービスへ入る車も動かない。その先はそれほどでもなかったがスピードを出して走っているのを見てすぐ渋滞があるのに急ぐこともなかろうと内心思いながらスムースに流れる余裕かこれが逆ならカリカリするだろうに…。反対車線は相模湖からまた渋滞していた。学校が休みに入り連休後半だから身近なところでこの場所が選ばれたのだろう。案内板は調布から混雑とあったが調布あたりから渋滞するのだが三鷹の料金所手前から混みだしたが少しづつ動いて高井戸へ、環八もいつもよりスムースに動き連休様様で感謝する。双葉、石川でトイレ休憩してちょうど三時間だった。

長野ではそれほど感じなかったが山梨に入ると山々が薄緑色になっていてまさに新緑の候そのもので目を和ませて、山梨は暖かいことを実感させてくれる。そして諏訪湖の対岸の先に見える小さい富士山ではなく迫って来るような大きな富士山が見えるのもいい。あれから一週間諏訪の山々もアッという間に薄緑色が多くなってきた。それに所々に淡い色が見えるのは山桜のようである。

棚の材料を買いに仙川の島忠へ柱の部分は溝に切込みがあり、180㎝の板二枚と120㎝の板一枚を組み立てて壁にしっかり固定してうまくいったと思ったら嫁さんが「引っ越す時どうすんの」と色々言われていたみたいだ。そんなことより勉強に身を入れてほしかったんだろうなと男は形から女は実からと現実的なのである。こんなことをやっても勉強はそれほどでもとその辺は見えていたのかもしれない。

集会の駐車場を借りているので最後の日にM兄姉にお礼の挨拶に行ったらキャンプのメッセンジャーでもあるS兄がいて超久しぶりなので感激する。日曜日のメッセージも頼まれているらしい。少し立場話をして先があるので失礼する。上京してもゆっくりできないのがいつものパターン。その足でM兄姉宅へ、といっても玄関で挨拶して失礼する。宿にしている下の子の方は何もできないかなと思ったが土曜日は休みとのことだったので前日夕食を外でして土曜日は家内が料理を作り、私は汚くなったガステーブルと換気扇をきれいにしガステーブルの下とガードを交換してきれいにした。食事の何食分かとフキ味噌を貰ったのを中に入れておにぎりを作り、これも何回分かのお弁当になりそうだ。息子にとって実になるのはこのようなものだろう。ガステーブルや換気扇が汚くとも使用に差し障りがあるわけではないで父親のやることはあまり…を実感する。

流石にファンヒーターは使わないがまだ炬燵は必需品の信州だが向こうは暖かいというより暑かった。丁度暑い時だったようだがここでも信州の違いを実感させられる。帰りは最初は上下とも普通に走っていたが小仏の手前あたりからか上りが渋滞していて連休であることを思いしらされた。少し散財し少し疲れた連休であった。

2017年4月30日日曜日

この頃


最近は午前中は朝食を挟んでデボ―ションに「この日を主とともに」を読み、祈り、そして聖書を4章前後をゆっくり読んでいる。創世記、出エジプト記、レビ記と進み今民数記を読んでいる。出エジプト記の後半は幕屋について書かれているが大雑把なイメージは出来るが細かいところになると分からなくなる。私の神理解に準じたものと自分に納得させている。レビ記も似たような理解だがこの律法がイエス様の時代の律法学者やパリサイ人とダブらせると少し暗い気分になるがイエス様は、
matt: 5:17
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
とおっしゃった。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
とある。人には守れないことなのであろう。律法は本来このようなものであろうが肉は簡単にいのちを失して言葉だけが残る。聖書を手にする者、私も心しなければならないことである。