2024年9月1日日曜日

九月

 今日から九月である。台風10号が変則的な進路を取りながらあちらこちらに風ではなく水害をもたらして低気圧に変わるそうである。そういえば子ども頃に一日には良く十日台風と言われてよく台風が来たような気がするが実際はどうだったのだろうか。その十日後に二十日台風などとも言われていたようなことも・・・。
 国会図書館のHPに二十四節気に、
二百十日、立春から数えて210日目の日。必ず暴風雨があるとされる。二百二十日、立春から数えて220日目。二百二十日と同じ意味を持つ・・・
とある。実際、今年の大型台風が来襲しやすい特異日は9月17日頃と26日頃らしい。
 台風のおかげでか晴れたり曇ったり激しい雨が降ったりと風変わりな天気であるが世の中の様子を現しているようで、どちらが先に変わったのだろうなどと思ったりしている。
 まだまだ残暑が続くのだろうが暑い夏から紅葉の秋を迎えて気持ちを切り替えて歩みたいものである。どのような九月になるか分からないが期待して歩もう。吉であっても凶であっても「万事が益となるように共に働く」主を覚え、しっかり受け止めて歩めるようにと祈りながら・・・。

2024年8月31日土曜日

今日で

 今日で8月は終わり、今年も2/3が終わるが過ぎ去って行く日々は早いものである。歩くのがゆっくりとしか歩けなくなって、何事もゆっくりとなってしまったような感じがする。出来るのも限られてくるとへちまたわしのように隙間だらけでぎゅっと握ったら一握りにもならないが出来る事を大切にしたいと思っている。
 車ではスイスイとどこまでもだが降りた途端ぎこちない歩きをしてこのギャップが大きいから漫画的である。乱暴な運転はしていないつもりだが車で走っていると乱暴だなと思わせる運転を見かけることがある。つぶやくと家内はあなたはもっとと言われることがあるから若いころに観た漫画映画で気の弱い男が街を歩いて道行く人に小突かれたり、突き飛ばされたりして這う這うの体で車にたどり着く、ところが車に乗った途端、豹変して、駐車している前後の車にぶっつけ、猛スピードで車を運転し、ぶっつけてもお構いなしで走り去っていく、あの光景がダブる。
 健康ステーションに通って3ヶ月が経った。微々たるものではあるが前進があるのかなと思っているがどこまで前進できるかこれで止まるのか分からない。
 9月と言えば秋、暑い夏に頑張って、爽やかな秋に更にと願っているがどうなるだろう。これから先どうなるか分からないが一つの区切りとしてここまで来られたことに感謝しよう。
 それと前向きに捉えられることは自分の中からではなく主から来ているのかなと思わされて感謝している。

2024年8月30日金曜日

たとえそうでなくても

 今ダニエル書を読み始めている。エゼキエル書より読みやすいがダニエルたちの信仰と我の落差を示される。
 足の不自由さはそれほど苦ではないが普通に歩きたくとも歩けないと同様に何かをしたいけど諸々の事情で出来ない。それが枷となって自分の思い行動が制限されていることを教えられる。無視してもいいのかもしれないがキリスト者としてそれも出来ない。でも現実にそれが出来ないと相矛盾した心の葛藤がある。ちょっとオーバーかな?
 ダニエルたちは揺るぎない信頼を神においている。「たとえそうでなくとも」(ダニ3:18)と告白することが出来た。自分を含め周りを観ていると信仰的であるように見えるが実は色々な形で守られているからではと思わされることが多い。ヨブのような告白は自分はしたことはないし他の人からも聞いたことがない。色々な形で守られて神に感謝し賛美はできるのであるがそうでなくなると神が見えなくなり、時には呪ったりする。
 救いを強調するとその辺がおろそかにならないだろうかと懸念する。事実、病気になったり、色々と解決しない問題を抱えている人が離れて行くのを観ている。そんなのを観ていると「イエスはキリスト」と告白して受け入れた者であってもどこかご利益的な信仰なのかなと思わされることがある。そうならないためには・・・。

2024年8月29日木曜日

無題

 TVはあまり見ないが代わりにパソコンでユーチューブや韓流ドラマなどを見ている。キリスト教関係はGFPチャンネルと時々関根一夫牧師のMCAFを登録して観ているだけである。牧師のブログを七つばかりを画面に張り付けて読んでいるが毎日更新するのは一つだけであとは時々更新である。最近ご無沙汰が多い。
 韓流ドラマも懲りずに良く観ていると言っていい。息抜きにちょっとがちょっとでなくなる。この間なんか35分もので130回のを観てしまった。二倍速で尚且つ途中は端折って端折って見たが自分でもあきれている。年と共に本を読む気力が薄れてきているのでつい映像にと行って仕舞う。
 ユーチューブも多岐にわたって面白い。色々な裏側が分かって面白いがアクセス数を上げようとあの手この手も見え隠れする。興味のあるものをいくつか登録しているが登録した途端興味なくなったりしているのもある。
 ウェキペディア同様、発信源に監修者的なものはない?からまさに自己責任で見るしかない。以前、頸椎の関係で整骨関係を良く観ていたが眉唾物が多いなぁと思って今は見ていない。
 どういうわけかユーチューブに登録している物の中に携帯に案内が来るのである。この間なんかコメント欄にコメントしたら「あなたのコメントにマークがつきました」等と携帯に入っていた。IT関係はよく分からないがネットに繋がっているものは丸裸の状態なのだろうなと思わされている。

2024年8月28日水曜日

エゼキエル書

 エゼキエル書をようやく読み終えた。この年になるとこの書は通読には少しどころか大分きつい。神殿のところは斜め読みしてしまったが神殿の大きさ形はどのような意味があるのだろうかと思わされた。
 神殿の下からチョロチョロ?と流れ出た水が大河となって死海に注ぎ、死海が多くの魚が生息するようになる。川の両岸は木が豊かに茂り実をつけている様が描写されている。
 部族の配置も旧約聖書と大分違う。神殿を中心とし、レビ族に関することも記されて、広大な放牧地があるということはここで祭儀が行われるのだろうか。最後に町の名が「『主がここにおられる』と呼ばれる。」とあるから千年王国と解していいのかな等々、エチオピアの宦官ではないが「導いてくれる人がいなければ、どうして分るでしょう」と言わざるを得ない。
 次はダニエル書だがここはまだ分かり易い。

2024年8月26日月曜日

アクセス数

 先月辺りからかなアクセス数が急に増えた。出どころは香港、ブログを読む為のアクセスではなさそうである。それが落ちついたと思ったら今度はシンガポールからとなっている。今も週に100位がアクセスされている。普段だとよくて10前後であるからまだまだである。
 気持ち悪いのと書く材料もないのをいいことに最近は書くのをセーブして、アクセス数が少なくなったらまた書こうかなと思っている。一つではないが信仰の問いかけもあるしその辺が少し整理できたらと・・・。

2024年8月24日土曜日

三千歩を

 最近指導員が「今まで体を固定して運動していたが体を動かす運動をしたらと四つばかり勧めてくれた。最初はマットに横になりながらレンガくらいの大きさの上に足を乗せて膝を曲げ、お尻を上げる。これと似たようなことを日赤でもやっていたが健康ステーションに行くようになったらやめたていた。次はつま先で真っすぐ立つこと、その次はある器具のハンドル部分に手をかけて体を預ける。立って腕立てをやっているようなものかな?最後にそのハンドルに摑まりお尻を出来るだけうしろに落とす。立ち上がる時少し膝に力が必要な感じがする。今週は木、金と健康ステーションに行ってこんなことを始めた。
 普通の人であれば普段の生活の「動き」の中でこのようなことをやっているのだろうがこんなことから少しづつである。始めて三か月になるが少し進歩があるかなと思わされている。行きつ戻りつの波があるが今月に入って昨日を含め三回三千歩を歩きアクテブ歩数も二千歩を超えている。ストレッチは効果が出るのは二か月後くらいと言われるが私の場合は早くて三か月後を目途に考えている。去年の十月末に手術して、術後一年の状態がそのままでそれ以上良くならないと言われているからどうなるかである。