2008年1月12日土曜日

人は何時かは

 知人のお父さんが無くなられた。ALSを患って2年余りの闘病の結果である。ALSのことを思うと母の病気を思い出す。原因不明で大学病院に入院検査という時にろうそくの火が消えるように亡くなった。何時だったか田舎に帰った時にたまに朝起きれないことがあると言っていた。そのときはそれ程気にもならずにただ聞いていた。それが段々酷くなり、ついに寝たきりになり話すことも出来なくなってしまった。もしかしたら母もALSではなかったのかなと思っている。寝たきりになって半年あまりで亡くなったが。
 休日を利用して見舞ったら怯えたような顔していたので祈っていいかと云って短く祈ったら穏やかな顔になったのでほっとする。それを見て佐多先生を見舞った時のことを思い出した。あの時も明らかに死に対して怯えていた。聖書の話をしてくれるなと言われていたので避けていたが祈らなければとの思いがあって了解を得て祈った。「祈りはいいですね。」と小さい声で言われ、穏やかな顔になっていた。後は地元に残っている人に任せてと病院を後にしたことを思い出す。
 死は終わりではなく、永遠の始まりに過ぎない。聖書は明確に云う「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」heb 9:27 と。これはあいまいを旨とする日本人には抵抗あるだろうな。だからといって仏教には何の根拠も無いと思うがそんな所で自分を納得させているのではないだろうか。 死を克服した福音が上手く伝わると言いのだがと何時も思う。上記の言葉だけでは難しい。