2008年1月19日土曜日

今週は

 今週はいくつかのことがあった。
 14日には恒例の高崎での学び会。今回は何人かが東京の集まりに出たようだ。マンネリ化してくると東京の集まりもある種の新鮮さを感じるのだろうか。世代は代わり、若い世代?はまた違った視点で聖書なり信仰を見ているのかもしれない。勿論本質は変わることはないだろうが。
 今回は下小鳥だからメッセンジャーは神学校を出ている人たちだけである。最初の兄弟は分からないが例え出ていなくともそれでもそれに準じているのだろう。群馬町と信仰の有り様が違っているのが歴然としているから面白い。責任者の姿勢がそのまま集会に出ているような気がする。どちらもユニークさではダントツかなと思っているが?批判があることも聞いているけど諸集会での一つの生き方としてはそれはそれでいいのではないかなと思っている。なぜなら何処か欠けているのは私たちの姿であり、集会も然りで、完璧は主のみであるからである。
 テーマは「信仰によって生きる」、ロマ書より「信仰による義」を主体に語られた。話を聞いていてメッセンジャーの聖書理解の深さが頷けさせてくれるのかなと思った。当然のように受け取っている信仰の義、そしてイエス様の深い配慮を改めて教えられた。それでも聞いていくうちから忘れていくのが年とともに加速度的になっているのは否めない。
 17日には義姉の友人が頚椎の手術をした。首の手術だから心配で本人には会えるとは思っていなかったが術後の様子だけでもと思って家内と病院を訪ねる。しかし会うことも出来、家内は短い会話を交わすことが出来た。ご両親と妹さんがいて少しお話を伺い、娘の安否を気遣う置いた両親の姿に何かジーンとくるものが有った。多分田舎の人であることも多分にそのことを付加したと思う。
 その夜、タイで宣教している韓国の宣教師の金兄の証しがあったが眠くてボンヤリと聞いてしまった。海外宣教、集会の一つの目標だがそれはそれとして理解できるが私は内側だなぁと思っているから関心は今一の感じであることにどうなのだろう。