2008年4月9日水曜日

今思うこと

 岡谷に行こうと思っていたことを具体化しようと思っている。その中に自分の欠けているものが示されているような気がする。以前にもこのことに触れたがその欠点が出てくるのかなと思う。結論から言うとあまり深く考えていないという事か?でも色々考えていると結局前には進まない。最近は案外こんな調子でいいのかもしれないと思うようになった。

 今回のことで思い出すのは、上沼先生が私のことをブログの中で「私より年が少し上だが慎重な方…」と書いていた。その時は理解できなかったが今はわかるような気がする。慎重なのか優柔不断で決断力がないのか、それとも臆病なのかそこが問題だ。全部当たっているのかも知れない。

 ものごとには手順というものがある。私は父が嫌いで東京に出てきた。それを決めたのも自分で誰にも相談しなかった。だから自分で考え、自分で決めている。その姿勢は今日まで続いている。依頼心が強いところがあるからこのような方法は良いのかもしれない。元々は集会を出ようとした時に岡谷が、そして岡谷に行こうとすれば、人的にも祈りに於いても必要だから集会と切るわけにはいかない。岡谷も飯高さんが少しでも楽になればと思ってのアクションだったがそんな単純なものでもないらしい。そんな中で教えられ、物事を進めているのかなと思う。今は誰の為でもない自分の為かなと思っている。勿論、仕えるという姿勢があっての話だが。明日の祈り会で出し、第3の日曜日にアナウンスするつもりだ。これは責任者に相談してのことだがこれが導きなり御心なのかもしれない。次元の低い発想が肉的なものを削がれ、整えられて聖化されていくのだろう。