2009年1月14日水曜日

高崎の学び会

群馬町の新年学び会に行ってきた。
信州に引越しして初めてなので色々な意味で行こうと思っていた。行くにあたって和田峠と笠取峠の凍結の問題がある。生憎雪となり高速で行くことにしたが60キロの遠回りである。時間的には変わらないが東京を往復する距離になった。それと料金が5千円近くに、これも痛い。帰りは松本のK兄が来た道を教えてもらい、小諸から松本に抜けて帰ってきた。高速は100キロ未満なので料金は半額で助かる。

アメリカのP兄と伝道者のO兄が話されたが、その時は理解していても驚くほど忘れやすくなっている。私にとって量的に多すぎるのかもしれない。メモを見て思い出すだけでも良いか。テープを貰ってきたのでもう一度聴こう。「栄光の教会(地域集会)を建てあげる」というテーマでエペソ書より話された。聖書が何を語っていると同時は私たちはどう応答するかが問題だがその辺が少し物足りないと思ったが?最近思うに問題がおきるのは聖書の解釈の問題よりも人が変えられていないところから来ると・・・。

この学び会もキャンプと同じように一年ぶりで会う兄姉の交わりを楽しむのもある。むしろこちらのほうにウエートが高かったりしてと思うことがある。分科会があったり、デスカッションがあったりということもないので、一方的に聞くというのはメッセンジャーにもそれなりの高度なものを求めないと聴衆は満足しないであろう。今回は引っ越した所為か前にいたところの兄姉は勿論のこと、他集会の兄姉も声をかけてくださり、私も挨拶したりした。昼食の時、2,3の兄姉と挨拶しながら3人で席について座ろうとしたら後ろで大きな声がしたので振り向いたらN集会のH姉だった。同じテーブルにご主人もいて挨拶し、彼女の肩に手を置いて声をかけた。学生の頃から知っていて、昔から苦労されて、今も子供さんで苦労されているみたいだ。大きな声だったので周りがこちらを見たのでチョッとと思ったが、姉妹の気持ちが分かるようで意に介することなく傍に寄って親しく話せた。私たちの顔を見て喜んでくれるからうれしい。色々な意味でとはこんなところのことでもある。