2009年2月19日木曜日

読み終えて

上沼先生の「…やみを隠れ家とする神」を発売草々に買ったのにやっと読み終えた。よくアクセスしているブログの方が教会の月報に書評を書いておられたのをブログに載せていた。坂野慧吉牧師も月刊「いのちのことば」に書評を書いている。共に読んでも難しい。先生に買って早々くらいにお会いした時に「難しそうなのでそのままなっています」と言ったら、「どこからでも好きなところから読んでいいんのですよ」と言われたがそれでもツンドクが続いていた。正直言って難しい、どこまでわかったかわからない。

本質ではないが、人の側に闇があるのはわかっていたが神の側にも闇というか御自分を隠される方であることが分かっただけでもよかった。引用されていたイザヤ書45章、ルターの詩篇の講解での18編、そして「隠される」ということばはたくさんある。箴言25章には「事を隠すのは神の誉れ。」ということばもある。闇はネガティブなものだと思っていたがもしかしたらポジティブなものではないだろうかと思わされている。ネガもポジもどう理解しているか疑問だが。父親の実家を訪ねたりしていたから「父」のことを書かれると思う。その本が出版されて、それを読んだらこの本をもっと良く理解できるかもしれない。

本を読み終えて、頭が整理されていないからうまく書けないが、福音的ということばの理解は、もしかしたら一面的な面しか見ていないのではないだろうか思わされた。このことをもっと整理してみたい。ここでは独り言のように書けるし、飛躍があり、独断があある。イエス様の食卓から落ちたパンくずを拾うつもりが…まさに独り言である。