2009年3月12日木曜日

母への詫び状

 「新田次郎、藤原ていの娘に生まれて」、 藤原咲子。2005年に出版されてものだが、このタイトルに引かれて、図書館から借りて一気に読んだ。時々TVで見かける藤原正彦さんが実兄であることを知る。お顔を拝見して何処か納得するは失礼か。ご両親が諏訪の出身であること、作家であることはは知っていたが、それ以上は知らない。しかし、新田次郎の「アラスカ物語」を読んで、そのあとがきを読むと彼の人となりを知ることができ、好感をもっていた。これも「ジャパニーズ・モーセ」と言われたフランク安田の物語だが「ジャパニーズ・モーセ」に惹かれて読んだのだが。

 両親が有名な作家であり、優秀な二人のお兄さんと余り出来のよくない妹(優秀な方だと思うが)、お父さんには可愛がられたが、お母さんとの確執が彼女を屈折したものにしているようだった。今は素直にお母さんと接することができるなかで、このようなタイトルになったのかなと思った。

 昔、S兄となんかの話をしている時に[俺は屈折しているかなぁ]と云ったら、「云わなくてもわかっていますよ」とすかさず言われて、次の言葉が出なかったことを思い出した。自分がこういう性格だから、こういう人に出会う?と何処かホッとして共感を持つ。
素直になれず意地を張ったり、自ら苦しむのを常とする。疲れる生き方である。素直に生きている人を見ると、この人はいい環境で育ったのだなぁと思う。

 自分も父との確執でというより、独り相撲的であったが、しかしこのことは父を大分苦しめたことを後に従姉妹から教えられた。物心がついたころ父は戦争から帰ってきた。父は絶対であったから、私は村上春樹ではないが壁に向かっている卵のような存在だった。兄は跡取りとして逃げられなかったが、私は逃げるように東京に出てくる。父は私たちに暴力を振ったわけでもないし、周りでは人望のある人だった。20代になり、許せない自分に苦しむがどうすることも出来なかった。その前に経験していたことがもしかしたら伏線になっているかもしれない。それを含めて、著者の姿が手に取るようにわかるのである。このことがキリスト教に触れ、聖書に触れるきっかけになったのかもしれない。ついぞ兄は父と和解できなかったようである。もちろん責めるつもりはない。幼い時の経験が人生を大きく左右するものであることを教えられる。そういう意味で人の話を聞く時にはその人のバックボーンを推し量りながら聞く必要がある。肯定的に聞くことの大切さと難しさを覚える。そして、神との和解がすべての始まりでもある。
 
 「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。
あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、
今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」 col 1:2022