2009年3月13日金曜日

和解

 藤原咲子さんの「母への詫び状」の最後の最後にこのようなことが書かれている。
「人が人を許し、人に優しくする事を知ったとき、初めて、その人は心の鎮まりのなかに真実が見てくるのではないだろうか。ひとつ強張りが剥ぎ取られた時、人はすべてを受容する素直さの中に真実が見えてくるのではないだろうか。母が身を以って私に差し出した命題は、まぎれものなく真実を見ることである。…」

 12歳の時に母親が書いた本を読み、母親が兄たちの生よりも喜んでいないと曲解し、自ら命を絶とうとする。「何十年と続いた曲解が私の人格をすでに作り、実際に私を苦しめ、母への不信を生み、心細く不安に生きてきた私を変えることなどできない。」
 施設に入っている母と、ようやく母子として対峙できるようになった作者の姿を見て、和解の難しさを知る。以前に観た。「おくりびと」も親子、肉親の確執が消えるのは死を通してもたらされる。でも死んでしまったら、和解はできない。

すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。 2cor: 5:19