2009年3月21日土曜日

小泉山(こずみやま)

 茅野市にある1千メートル強の小泉山にⅠさんの誘いで、彼ら夫婦と登ってきた。と書くと格好いいが実は茅野市の平坦部は海抜770メートル、引き算すると230メートルチョッと小高い山なのである。そこを30分あまりでゆっくり登ったというわけだ。
 高速で一番高い1千メートルチョッともすぐ近くだし、高さだけで内容を言わなければ感心される。美ヶ原高原美術館は2千メートルに少しかける。建物のテラスは多分2千メートルと書いてあったと思った。信州は山にしろ、峠にしろ、1500メートル位のところまでは車で行けるところはいくつもあるようだ。信州では別にどうってことないが東京や他では感心されるかもしれない。5月の連休には守屋山にと誘ってくれた。1600メートル、1時間半は掛かるそうだがここも結構高いところまで道路があるから高さは何百メートルかもしれない。それでも今日のようにいかない。

 何時だったかメールをくれた北関東のT兄がU先生のブログを見ているらしくて、「あそこに書いてあったのはもしかして・・・」と書いてあったので事情を説明したが、だから特別何というわけではない。いうなれば運転手みたいなものなのである。それだけのこと、先生の本質的な話は難しくて相当噛み砕いていただかないとわからない。それと集会のような福音の伝え方には疑問を持っているようだった。裁きが先に来ると人は身構えてしまうからわかるような気がするが。本質的には変らないのだろうが。表面的なことをどう取るか、内面まで掘り下げることができるか難しいことだ。

 以前いた集会だとどこか傍観者的でもよかったが小さいところだとそうも行かない。それと好きな本を読むにしろ、聖書を読むにしろ、自分の思考にそっていた。それとメッセンジャーの話が理解できるためにという意識があった。今はそういう意識は通じない。具体的な話の中でも、交わりの中であってもそれは許されないのかなと思う。わが道をいくものとしては寂しい。物が良く見えてもそれだけでは駄目で具体的なアクションをしないといけないのかなと最近教えられている。アクションできるかどうかはこれはまた別問題だが。