2009年3月25日水曜日

to doの前にto be

 新渡戸稲造が一高の校長に就任したときに学生に、人間形成を求める[ヒューマニズムの精神]と世界平和のための国際協調を訴える[インターナショナリズム」、また「to doの前にto be」を、「何かをなす前に何でなければならないか」と説いたそうだ。

 数年前に「do」でなく「be」であることが良く云われていたような気がする。工藤信夫さんが言われていたのだろうか。英語の分からない私でもこのくらいは説明してくれればわかる。以前いた集会の責任者の一人にこのことを話をしたら何の反応も無いのにがっかりしたことが鮮明に覚えている。「あなたは高価で尊い」と語りながら、どこか「be」である前に「do」を求めているような気がする。私の偏見か。

 新潟にある敬和学園の初代校長である太田俊雄さんが生徒の言葉として、「労働者といって働かない先生と労働者じゃないといって働く先生がいる」とこのように先生を評価していることを書いていた。「いる」ことが大切と言って、ただ「いる」だけの私としては耳が痛いが、まず何をするかではなく「いる」ことの大切さを絶えず覚えていく必要があると思う。何か出来る人は自信過剰に、出来ない人は自信喪失になっていく傾向はそのことを示しているのではないだろうか。そしてキリスト者としてどうあるべきか、その根底が問われているような気もする。

 「お前は自分をどう思おうと勝手だがお前のために私はいのちをかけた」とそんな声が聞こえるようだ。この方に何時も応答できるようになりたい。