2009年4月5日日曜日

雑感

 創世記を読んで、11章までの出来事を思い巡らしている。エデンの園での女が「賢くするという」言葉、カインがささげ物で「ひどく怒った」こと、バベルの塔では「名をあげよう」としたことをイエス様とダブらせてみた。「自分を卑しくし」は「賢さ」と「ののしられても、ののしり返さず」は「怒る」に「御自分を無にして」は「名」を当ててみた。イエス様と彼らの姿は対極にあるような気がする。それは自分もそうだということだ。