2009年7月1日水曜日

思うこと

 坐骨神経痛を経験して、早く治ることを願いながらも病状の変化は遅々としたものである。ある方が鍼を紹介してくれた。一気に回復はなくてもそれなりに進展はあるかなとの思いで遠かったが電話したら生憎と留守だった。
 早く治ることだけを願って、あれこれ考え動いていた。しかしそう簡単でないことも教えられる。留守だった電話を通して、早く治すのではなく、気長に治療する中で学ぶべきものがあることを教えられる。内村鑑三は著作の中に「読むべきは聖書、学ぶべきは天然、為すべきは労働」と書いている。もじるわけではないが学ぶべきは病気であり、そこから教えられるものは少なくない。

 健康であることの有り難さを再確認させられる。そして体が如何に脆いものであり、壊れた体は時には修復不可能になることもある。そして感謝の薄さを実感する。しかし抱えきれない祝福があるではないか、主が身近に見えるではないか、ハレルヤと賛美ができるではないか、それ以上の何が必要なのか、「わたしの恵みはお前に充分である」然りアーメン。そして河野進牧師の詩を思い出す。

「病まなければ」

病まなければ ささげ得ない祈りがある

病まなければ 信じ得ない奇跡がある

病まなければ 聞き得ない御言葉がある

病まなければ 近づき得ない聖所がある

病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある

おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない