2009年7月3日金曜日

息子から

 珍しく息子から電話があった。自分の郵便物は前の家に行くかとか聞かれ、もうダイレクトメールなども着ていないからないと思うよと答えた。気になったので何でと問いかけたらいや別にといったがそんな時何かやっていることが多い。何かやるにしても事後承諾が多い、それで色々と親子の確執があった。以前は自分の中の心の狭さを教えられ、そういう自分を受け入れるのに苦労したが、今は相変わらずなのだろうがそれはそれとして受け止めれるようになった。

 前に電話あったときにもしかしたら仕事を辞めるかもと云っていたが辞めていた。すでにその時は辞めるつもりでいたらしい。医者に行って薬をもらっているとのことそれに保険が失業保険より多くて、1年半出ると云っていたがどうなのだろう。行こうと思ったがいいとのことで困ったら連絡しろといっておいた。

 出入り禁止になって、3年からになるらしい。キリスト者として、親として色々考えさせられた子だった。息子に大人としてはまぁまぁだが親として零点といわれた時には自分も否定しなかった。というより肯定していたように思う。どの程度子供たちに伝わったか分からないが親としては、多くの面で欠けていたことは謝った。自分の生い立ちの負の部分があって、こうなったことを伝えたように思う。

 あの子を通して、キリスト者として問われ、また集会のあり方も考えさせられた。集会は悔い改める者には門を開くがそうでない者には律法学者やパリサイ人と同じかなと思った。イエス様のようにその人のところに行くということはできない。集会には色々な人が集まっているから群れを牧する者の難しさは分かる。親としてというより、キリスト者として、信者が増えてもそういう人をスポイルして本当の祝福といえるのだろうかと思ってしまう。

 勿論、息子が主の前にどう立つかが問題であるが、それよりも自分たちが息子を主に委ねて、結果はどうなってもそれを受け止めていけるようにと祈っている。田舎を出るときは就職と形で出てきたがどこか「逃げ」があったことを大分前に教えられた。それが信仰に、そして諸々にとなったのかなと思う。今はINGだが逃げないで受け止めようとしている。そういう意味で息子は何かと教えてくれる師であるかもしれない。感謝だけれど痛いことが多いから正直程々にお願いしたい。