2009年8月15日土曜日

「十字架の言」誌終刊

 今月の「十字架の言」誌の最後に終刊するとの知らせがあった。先月号で奥様のガンの再発が告げられ、病院での治療はもう出来ないのでホスピスの手配をしていたのに、6月の検査の結果では病気は進行していないから今まで通りの生活が出来ると、そして「十字架の言」誌を継続できると、奥様が喜んで書いてあったのに驚いた。

 15年前に交通事故による全身麻痺となり、その時点で誌の継続は無理だと思っていたのに、一時中断しそうになったが、今日まで続けられたのは奇蹟というほかない。思えば、今は旧約学の大家であるTさんが学生の時、一時同じ集会であった。あの当時車で仕事をしていたので、杉並方面はよく行っていることを話をしていたら、西荻窪にある待晨堂で「ヨハネ伝講義」を買ってきてほしいと頼まれたのがきっかけである。何度が通ううちにそこのご夫婦と親しく言葉を交わすようになり、聖書関係の本を良く買ったった。そんな中で20頁足らずの「十字架の言」を見つけてそれから継続して読者となる。

 前後して買った「ロマ書講義」1~5巻は私に大きなインパクト与えてくれた。
「被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」 rom 8:21 、22

 救われて間もないころで、自分の救われたことを喜んでいた。イエス様の十字架と復活、そして再臨が人だけでなく被造物全体が贖われることを待ち望んでいることをそこに書かれていることを知ったとき、自分の救いの捉え方の小ささと、神の救いの壮大なご計画を教えられて感動したことを今も昨日のように思い出す。

 2度しか直接お目にかかったことはなかったがといっても言葉を交わしたわけではなく、講演会の時と祝いさんの告別式が登戸学寮で行われた時にお見かけしただけである。疲れているようで、車のシートを倒して休んでおられた。住まいは新百合ヶ丘だから遠くはないのに、その頃から既に体力的に弱っておられたと思う。そんなんで声をかけ損ねてしまった。

 私の信仰の歩みの指針を示してくれた方でもある。それは集会の信仰と少しずれる結果にもなっているのかなと思う。Tさんがまだ集会にいた頃、その集会に若い青年が、興味があって来たようなことをいわれたら、興味を持ってくるところではない真理を探究するところだと叱っていたことを話てくれた。無教会信仰の伝道者として、どちらかというと福音に重きを置いた方ではないかと思う。その方は高橋三郎先生です。