2009年11月5日木曜日

処する術

 白川勝彦さんは『永田町徒然草」というブログを書いている。その中で「政権内部や民主党から伝わってくるニュースには、“それは良いぞ!!”という思われることが少ない。それより“あまりぞっとしないなぁー”と思われることが多いからだ。』と書いている。…それは、『彼らが“権力に処する術”を知らないからではないのか。 このヒントは、「“富に処する術”にある。この言葉もあまり聞き慣れないと思うが、私の造語ではない。かつて宮沢喜一氏が使った言葉である。宮沢氏は「私たち日本人は貧しさに耐え、これを見事に克服した。そして世界が驚嘆するような豊かな国となった。私たち日本人は、貧しさにどう対処したら良いかは知っている。しかし、自分たちが手にしている富にどう対処したら良いのか、必ずしも十分に知らないのではないか」という文脈の中で“富に処する術”という言葉を使ったのである。』と説明している。『それと民主党は長い間確かに“政権交代”を訴えてきた。そして念願の政権を手にした。政権を獲得した場合どういうことを行いたいか、それなりに勉強してきたようである。しかし、自公“合体”政権の権力について批判することと、実際に自分たちの権力をどう行使するのかは別の問題である。権力者は権力をどう行使するかも問われるが、権力を行使しないことにも責任を問われるのだ。要するに政権党はあらゆることに責任を問われるのである。政権党には、その覚悟が必要なのだ。』とも書いている。分かりやすい説明である。

 自分のこととして振り返ってみるとかつていた集会は大勢信者がいた。週報を90枚刷っても無くなると聞いているから割り引いても7,80人の信者はいるのだろう。特別な責任を負わなければ集うだけでよい。そうすると諸々の要素はあるが集会を客観的に見てしまいがちになり、当然批判的な視点で見ることもある。引越す頃は、これは責任者に委ねられたもので私がどうこう言うべきものではないと思えるようになった。そうなるまでは大分時間がかかったように思う。責任を負わないと部分的なものしか見えないし、欠けている面が見えるということもある。事実、そういう話を色々「聞く」ということも多かった。

 一つの群れを委ねられているということは、責任者の霊性と能力が問われる。問われても決断していかなければならない。決断したとしても具体的には難しい。論評は出来ないが、現にそれによってバプテスマを前に集会を去った方がおられる。そこには信仰の確信のようなものがあるのではないだろうかと思っている。諸集会にはオープンとクローズという水と油に等しいくらいに融和のできないものがあるように思う。そのオープンも集会にこだわっているのと教会からも学ぼうとしているのとあるように思える。そんな色々な集会があるからその人を受け入れてくれる集会があるだろうと思っている。
 大分昔の話だが、すでに召されたN集会のS兄は「以前はここでパン裂きが出来たが今は・・・」とある大会のことを個人的に話してくれたことを思い出す。それだけ昔は集会は一つであったのだろう。それが年と共に多様化して、今はさらにとの思いがある。それはまた「一つになる」ということをさらに難しくしているように思う。個々の集会が独立したものとして尊重されていればそれはそれで素晴らしいと思うがそう単純ではないようだ。

 話を戻して、10人に満たない小さな集会ではあるが白川さんが指摘する民主党の現実を今自分が経験しているのかなと思っている。スタンドで観戦していた者がグランドに降りてプレーするようなものである。色々な思いが去来するが何処でもいつでも教えられた所がスタートと思っているのでそれはそれでいいかなと思っている。