2009年12月30日水曜日

200kmを

 先週の25日にお天気が良かったので自転車で出掛けて、図書館から釜口水門に出て、湊周りで諏訪湖を一周する。その後で温泉に浸かって帰ってきたといってもそこから川沿えに緩やかな坂を3キロほど走るのである。9月に自転車を購入して、3キロ、5キロと積み重ね、早々に諏訪湖一周をして、この間の一周で190キロあまりになっていていた。昨日は7キロ、今日は4キロから乗ってついに200キロを超えた。別に意識していなかったが暖かかった所為もあり、諏訪湖一周も出来たからクリアー出来た。

 自転車に乗っているとよく周りが見える。それに昔の道なのだろうか狭く、一般道を斜めに横切るような道が結構ある。それと古く大きな家もある。農家というより、養蚕をやっていたのかなと思わされる。義母が親しくしていた家も今も古い建物がある。昔は5,6階建ての繭倉があったそうだ。宿場町として栄えた下諏訪と養蚕で栄えた岡谷では少し趣が違うような気がする。

 自動車では見えないものが自転車や歩きだとよく見えてくるものがある。それと同じように聖書理解や信仰生活もスタイルを変えると今までと違ったものが見え、意外性を感じる。初期のクリスチャンはユダヤ人、「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、」 acts 2:46 。以前と変わらず喜んで宮もうでをしていた。今ならさしずめ偶像崇拝の槍玉に上がるだろう。パウロの登場から今日、様変わりは大きいと思う。聖書に帰るなら初期のクリスチャンでと思うが彼らはユダヤ教徒、我々はコリントの街のようなところに住んでいるから無理か。でもあんな自由で喜んでいる姿はうらやましい。気が向いたときにパン裂きをし、姉妹が祈って、教会の人たちはプログラムのない礼拝に驚いているそうだがその諸集会の信者も驚くやり方をやってみたいものである。と書いているのは自分にそんなものがないからかもしれない。