2009年12月26日土曜日

クリスマス

 昨日はクリスマスだった。クリスマスよりイブのほうが賑やかで、どんなことをやるのかわからないが静にクリスマスを覚えるのはカトリックのミサかもしれない。信者でない時は勿論、今でも余り関心を持たない。それは、日本人特有の精神論かもしれないがなぜか浮ついているようなのでそれが嫌なのだ。
 馬小屋で生まれたイエス像をどのように捉えるかで大分違うのではないだろうか。宿屋の片隅でなく、馬小屋は明らかに人々がイエス様を拒否している。福音書の他の箇所でも見ることが出来るが、この根源的な罪がいかに深いものであるか私には分からない。だから嫌なのである。これが分からないと神の愛はさらに分からないのではないだろうか。必然的に「ご利益的な信仰」なるような気がする。
 とイラソーに書いたが年賀状を書くのに四苦八苦していて静かに主の誕生を覚える余裕はなかったというのが本音である。そして昨日、郵便局に持って行くことが出来てホッとしているのが現実、オ・ハ・ズ・カ・シ・イ。