2009年12月12日土曜日

ある本を読み終えて

 先日、一冊の本を読み、考えさせられた。戦時下で治安維持法違反で刑務所に入った牧師の物語である。まさに隣町の教会の牧師(当時)の話だった。昔の写真に中田重冶が写っているそうだからホーリネス系?詳しくは知らないが戦中に多くの牧師が逮捕され、多くの牧師が獄中で亡くなったと聞いている。

 この本を読み終えた時、「青銅の基督」の本を思い出した。芸術と信仰、これが変に絡んで信仰もない一人の芸術家が基督者と誤解されて殺される。殺された彼を真に理解していたのは遊女だったというのも面白い。

 思っていることを書くと・・・。何時の時代も善意の人の集まりがあればそれを逆手にとって利用する為政者の姿がある。過ぎ去ってみれば「何で、」と問いかけても答えが出ないようなことをその時は疑うこともなくやってしまう。ロマ書7章ではないが悪であることを知りながらそれしか出来ない人間の姿がそこにあるのだろうかなぁ。やるときは綺麗なオブラートに包んで本質が見えないようにしてやる。

 今もこのようなものがあるような気がする。世の中は勿論のこと信仰の世界でもあるのではないだろうか。福音を語りながらもそこにあるのは自己実現が目的であったりして、その点イエス様はやることも言うこともストレートだ。だから殺された。変な読後感になってしまったが。