2010年1月5日火曜日

今年は

 三が日も終わり、日は変わって5日になっている。今年初めての書き込みである。いつも思うことだが年末年始の日曜日が何処に来るのかで大分変わって感じるように思う。今回は3日が日曜で三が日は終わりで珍しく区切りがいい。

 区切りがいいといえば今年は古希であり、誕生日が日曜日、4,5年か7,8年の割で誕生日が日曜日になる。信仰を持ったときの年がやはり誕生日が日曜日だった。それでお願いして誕生日に洗礼を受けさせてもらった。これだと何時洗礼を受けたかが忘れない。しかし誕生日やクリスマスを祝ったりしないので、誕生日前後は覚えているが当日になると忘れていることが多い。茗荷の名前の由来を何かで読んだことがある。全く同じような人間であるから丁度いい。

 冬は東京に比べたらはるかに厳しい信州の生活を経験して、フッと思う。温暖な地での神認識と厳しい気候での神認識は違うのではないだろうかと。それと四季がはっきりしている日本にいると冬の厳しさを通して、人間に妥協しない神を見る。春には食物が芽を出し花を咲かせるので命を思い。暑い夏は神の裁きを思う。そして実り秋である。

 「神は愛である」とヨハネの手紙に書かれているが愛はいのちの生み出し、いのちは希望を生み出してくれる。このことを形にしたのがイエスさまの受肉と十字架と復活である。よく年が明けてから礼拝時にイエス様の誕生の賛美歌を歌う。3日にも礼拝賛美歌98番を賛美した。今年一年はどのような年になるのか楽しみであり、また逆の恐れもないわけではない。