2010年4月15日木曜日

弱さ

 「弱さ」という言葉は聖書の中ではロマ書とコリント書、それにヘブル書にのみに載っている。ヘブル書はパウロの書簡に似ていると言われている。著者はパウロでなくても彼に強く影響を受けている者であろう。そうするとパウロ独特のものなのだろうか。

 弱さってなんだろうと思う。逆に強さを考えると分かるのかもしれない。パウロは熱心にキリスト者を迫害していた。この時、彼は強かったのではないだろうか。この熱心は神に対する熱心さであり、尋常ではないことを使徒の働きの中でも伺える知る事が出来る。しかし、この熱心さは神に敵対するものでしかなかった。ということは熱心は気をつけないと神に反逆することになる可能性を含んでいるということだ。イスラエルは義の律法を追い求めたが行いによってそれを求めたために得ることがなかったことをパウロはロマ書で書いている(rom9:31-32)。

 この熱心は人間の側に視点を置いている。頑張るは頑固で張り合うと読んだ方がいるが人間の姿そのものである。弱さも多くの場合「甘え」に繋がるがパウロのように「誇る」ようにならないと駄目なのではないだろうか(2cor12:5,9,10)。キリストの弱さを知り、自らの弱さを誇ることが出来たらホントの強さが生まれる。信仰者にとって「弱さ」は大切なもの、でも正直強さがいっぱいだなぁ。

 最後にKさんコメントありがとうございます。興味はあれだけです。