2010年5月12日水曜日

御柱

 全国的にも有名になった諏訪大社の御柱が終わった。地元のケーブルテレビは飽きることなく、御柱関係の映像を流している。よそ者としては、分からないでもないがそこまで?との思いはある。阿波踊りの歌に「踊る阿呆に見る阿呆、どうで阿呆なら踊らにゃソンソン」の文句がるがよく分かるし、ある方は祭りに参加しなければ分からないと言われたこともよく分かる。花火同様で行くまでが…。しかし、ユダヤ教の影響があるかなと思わされる。上社の御頭祭には興味があるんだが…。
 久しぶりに自転車で諏訪湖一周をしたついでに、既に建てられている下社の秋宮と春宮の御柱を覗いて来た。あの賑わいは何処にと思うほどひっそりとしたもので、春宮などは二人も亡くなっているのにと思ったが過去になってしまった事は忘れ去れて行くものである。家族だけが悲しみが続くのであるが。
 使徒の働きで見る集会は今日の家庭集会の様なものであろう。シンプルでイエス様のことだけ、カソリックをはじめなんであんなに仰々しいのだろうか。小さい時に経験した田舎の祭りはシンプルだったような気がする。長い歴史の中に一つ加え、二つ加えて今日の様な複雑になって行ったのではないだろうかとキリスト教界を見てそう思った。ついでに本質が見えなくなってしまうというか、本質でないものが本質のようになっていくのは日本の特質かな?仏教なんかもその際たるもののような気もする。何事も「シンプル イズ ビューテフル」なんて言葉があったような気がするが。