2010年7月20日火曜日

金賢姫来日

中井洽・拉致担当相は20日、閣議後の記者会見で、大韓航空機爆破事件の実行犯の金(キム)賢姫(ヒヨンヒ)元工作員の来日について、「総理、官房長官、外相、法相の協力と韓国政府の決断で実現した。世界に日本と韓国が一体となって拉致問題に取り組む姿勢を示せた」と話した。(MSN 産経ニュース)

来日には色々な意見があるようだ。拉致問題では拉致被害者のお気持ちはよく分かるのだが現状のままでは進展がないのではないと思うのは私一人ではあるまい。拉致問題では、先日亡くなられた高橋三郎氏がこのようなことを書いている。

拉致問題の真の所在

去る10月5日は、13歳の時北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの44歳のの誕生日であって、ご両親のもとに多くの友人が来訪して誕生日祝賀会が行われた由、その様子がテレビで放映された。来年こそこの席にめぐみさんを迎えたいという切実な願いと併せて、何故交渉が書くもはかどらないのかという苛立ちの声が上がったのは、聞き捨てならぬ呻きとして胸に突き刺さった。しかし何故こういう事態になったのかという理由について、明確な認識を持つ人の声に接しないので、これについての私見を述べることにしたい。

2002年9月17日の小泉訪朝のとき、金正日総書記が日本人拉致の事実を認めて謝罪し、小泉首相は日本による植民地支配に対する償いとして経済協力を行なうことを公約し、この二点が平常宣言として発表されたのだった。その42日後(10月29,30の両日にわたり)クアラルンプールで第一回日朝国交正常化交渉が行なわれたのだが、日本代表団は、経済協力についての討議に入ることを拒否したのである。これは赦し難き背信行為であったから、北朝鮮代表はは激怒して席を立ち、日朝関係は修復不可のな断絶状態になってしまった。かくも重大な背信行為に日本政府を駆り立てた原因は、アメリカからの指示によるとしか説明のしようがない。

北朝鮮は日本からの経済支援をきっぱり諦めて、中国の経済発展に範を求めようよとしたり、核実験という危険な賭けに出て、(核施設の稼動停止という条件の下に)重油100万トンの支援を受ける約束を取り付けるなど、あらゆる手段を講じて経済再建への模索続けてきた。つまり日本を相手とせず生き延びる道を模索してきたのである。その上、北朝鮮との直接交渉を拒否し続けてきたアメリカが、2003年以降この方針を放棄して直接交渉に乗り出したため、北朝鮮をめぐる国際情勢は益々北朝鮮にとって有利となり、六カ国協議の場においても、日本だけが孤立する事態となった。

しかし日本は「対話と圧力」によって交渉すると言っているのだが、これは力づくで相手を押さえ込み、こちらの思う通りに動かそうとすることでもあって、真の(ギブ・アンド・テイクを基本とする)外交とは言い難い。誇り高き朝鮮人がこれに屈服するなど、あり得ぬ事であって、日本は今や拉致問題解決のへの糸口を、自ら断ち切ってしまったのである。日朝間の国交を再構築する事こそ、拉致問題解決のため不可欠な前提であって、日本はかつで残虐極まりない朝鮮人連衡の罪を謝罪する所まで遡って、和解の手を握らなければならない。そして拉致問題だけでなく、北東アジアの諸国が平和共存できる連合体を形成するという地球規模の課題に対しても、日朝両国の和解の達成は、焦眉の急を告げる我々の課題である。(2008年10月12日) 「十字架の言」誌 第11月号より

以前から、拉致された5人が一時帰国を果たした後に北朝鮮に帰さなかったことや家族の帰国問題の取り扱いに、苦言を呈していた。正しいかどうかは分からないが一考に価するものではないだろうか。北は指導者が変わろうとしているとき、日本はどのような選択をしていくのだろう。外交手腕が問われる。