2010年7月28日水曜日

何時も思うこと

月曜日に、関西に住んでいるK兄と家族が軽井沢に行かれる途中、近くを通るのでお会いしたいとブログに書かれてあって、気が付くのが三日後だったりとうまく連絡がつかなかったがぎりぎりのところで連絡が取れ、お会いすることが出来た。軽井沢にあるキャンプ場に学生時代から奉仕されているそうだ。今は家族で奉仕されている。

全くの初対面だったが、ブログを読ませていただいているだけでなく、色々お話を聞いていく中で、一見旧知は大袈裟だが共通の話題があって、話しがはずんだ。個々に書くことはしないが、人と人とのつながりの中で共通の兄姉がわかって、クリスチャンの世界は狭いなぁと今回も思わされた。奥様が一時東京のある集会に集っていたK兄のお姉さんと聞いてびっくり、そのK兄は佐賀で伝道しているH兄とは高校の同級生だったとか、同じ集会にいるときは何かと話しが合っていたのでうれしかった。茨城にある集会のK兄姉も驚きで、特に姉妹にはと言われて、思わず苦笑いをしてしまった。彼女は召されたが兄弟は70代の半ばだと思うが元気で活動されている。懐かしい名、名である。

聖書を含め、キリスト教に対する深い知識と見識を持っておられるので感心する。ブラザレンの歴史を調べてブログに書かれている。集会関係の個人のブログとしてはめずらしくアクセスが多い。集会関係だけでなく、何らかの形でかかわった方もアクセスしているようだ。集会も多様化?しているように見える。その一極にいるのかなと思っているがどうだろう。もう召された東京にある集会のS兄は、東京の集まりでは、以前はパン裂きができたが今は出来ないと残念そうに言われたのが何時も思い出す。それだけ主にあって共にひとつの思いがあったのだろう。その集まりで非難されたことがあって、その人は北陸から大阪へ移られて牧師をしているようだ。主のために車を持つというが云々と、高潔な士でもないだろうに、自らを是とし、他者を否とする典型かなと思っている。自分の中にもそのようなものがあるが心しなければと思う。

深く交わったらついていけないとおもうが、交わっていただける事は感謝であり、キリスト者冥利に尽きる。信州に引っ込んでしまったら、もう交流はないだろうと思っていた上沼先生とも会うことが出来、その上不思議な経験もさせてもらった。今回はさらにである。信州の難しさがあるが恵みのあることを今回も味わった。兄姉が集っている集会は従姉妹の住いに近い、何かの形でつながればと思うが、今回その一歩にでもなればいいのだが…。

昼食をご馳走してもらって、お土産まで頂き、それに最近あめんどうから出版された「わが家への道」も頂いた。何時もメールで注文しているが一冊ばかりだと悪いなと思って思案していたのでうれしかった。「心の刷新を求めて」が出たときはすぐ注文して送ってもらったが、まだ手づかずなのに、こちらの方を読み始めている。ナウエンは読みやすいし共感できる。生き方は正しくとも現実を見ていくと主流ではないような気がする。このギャップが色々な問いかけをしているような感じもするが。