2010年8月20日金曜日

こだわり

数年前になるが本屋さんに塩野七生さんの「ローマ人の物語」が積んであった。タイトルに「キリストの勝利」とあったので、そのタイトルで買ってしまった。本の最後の方にキリスト教が国教になった経緯が書かれている。そこには信仰的というより政治的に動いていったようなことが書かれていたような気がする。今日の芸能界で、ある宗教団体に所属していると有利であるようなことを聞いたことがある。ローマの国教となった前後のキリスト教も同じようなことが起きていたようだ。

正直言ってがっかりしたのだが、カトリックの建物の荘厳さ、教役者の階級の複雑さはこんな所からきているのかなと思ったことがある。「ローマ人の物語」も作者の視点もあり、イコール歴史とはならないだろうがどうなのだろう。

「使徒の働き」に教会の原点を見ることが出来る。集会も信者が多くなると牧会書簡を通して、管理しようとする姿勢が見え隠れしてうんざりするときがある。集会の責任者の多くは、社会でもそれなりの立場でやっているだろうから、行政や管理能力があるから出来るということも言える。キリスト・イエスの心を心とするなら、少人数でないと難しいだろうなと何時も思う。

しかし、聞き従うということを通して、「天にある支配と権威」に、従っているのかもしれない。闇雲に聞き従うということはいけないが、この姿勢は、大切なような気がする。