2010年9月12日日曜日

責任

時々変なことを考える。
創世記3章に堕罪のことが記されている。その冒頭にへびと女のやり取りが書かれている。2章に「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と言明されている。それなのに女は蛇の問いかけに答えているものは真にいい加減な答えをしている。このことを、男はどのように伝えたのか、女はどのように聞いていたのか分からないが、二人のコミニュケーションは結構いい加減なように見える。

結婚生活40年近くなろうとしていて、「あの、その」の問いかけに、お互い「何?」と返す言葉の中に夫婦のコミュニケーションの程度が知られる。でも罪が入らない前の二人のどこかいい加減さ?を見ると何故かほっとする。最初の夫婦がこんなのなら僕らはこれでもいいのかと…。

堕罪という大きな出来事の中で、断罪はあっても、誰が責任を取ったのだろうと思った。蛇は罪を犯すことを求めてたのだから責任を取るつもりは毛頭ない。男も女もそんな力はない。結局、神に責任はないのに、御子を遣わし、十字架に架け、復活させた、神ご自身がそれをなした。責任を取るというのはこういうことなのだろうと思った。