2010年12月29日水曜日

「通訳ダニエル・シュタイン」

ユダヤ人でありながらナチスの通訳として働き、その働きの中で300人かのユダヤ人を助けたが、ナチスに協力したということでユダヤ人に受け入れられず、戦後イスラエルでカトリックの神父として働いているという実在の人物をモデルに書かれたというので興味を持った。それで図書館にあるのを知って借りてきて読んでいる。

何人かの人が登場し、その書簡のやり取りを書いているのでややこしいので読みづらかったが読み進んでいくうちに人のつながりや複線が見えてきた。キリスト教といえばプロテスタントであり、その視点からしか見ていなかった。しかし作者がロシア人のロシア正教徒、モデルはユダヤ人のカトリックの司祭であり、モデルの対極にあるようなロシア正教の司祭も登場する。舞台はキリスト教でも西方教会、東方教会の世界であり、同じキリスト教でも全く?違う世界なのである。

逆にプロテスタントの世界しか知らないということはある意味で狭いのかもしれない。二つとも異端として退けているが歴史のある二つの教会の持つ霊性はある面で優れたものがあるのではないだろうか、東方教会のことはほとんど分からないがカトリックには優れた霊性を持った人たちがいる。組織としては問題としてもそのような人たちを生み出したものを無視することは果たして正しいことだろうか。

前半はユダヤ人としてポーランドでの東西の狭間の中に生きてきて、修道院で匿われて信者となり司祭となる。戦後イスラエルでカルメル会の司祭として活動する。教会の教義を必ずしも踏襲していないような文面だ。本の裏表紙に書かれている「惜しみない愛情、寛容な共存の精神、そして祈り」を実践している。宗教を超えて接する人に愛情を示しているのを見ると、カトリックの教えから逸脱してくるだろうなと思う。逆に組織は教義に束縛されて硬直していのちを失う危険性を持っている。それが今日の宗教界かもしれない。

キリスト教でも違った世界だから最初違和感があったが読み進むうちに自分の知っているキリスト教の世界は狭いなぁと思った。そういう面で示唆されるものがあってよかった。本質的ではないが。