2011年1月15日土曜日

小さな善意

今タイガーマスクの伊達直人さんが各地でランドセルや文房具、それに現金を施設などに寄付していることが話題になっている。こういう世相だから何か善意をと思う思いがあってのことだろう。昔はこういう善意というものが日常茶飯事的にあったような気がする。私も20代前半の頃、月の後半になるとお金がなくなり、明日からの昼食どうしようかと思いあぐねていると手紙の中に何がしかのお金が入っていて、これで今月はもつとほっとしたことが何回もあった。苦労されているから人を気遣うことが出来るのだろうと思った。その点、親は貧乏していても子どもが心配でもそこまでの気遣いはなかったなぁ、貧乏でも農業をやっていれば食べれた時代だったから食べれないという苦労は知らないなとそのとき思わされた。親不孝していたからそれ以上のことは思わなかったが。

ただひとつ気になることがある。施設にランドセルを送るとき、そこの施設に一年生になる子が何人いて、男の子と女の子は何人なのかを調べたのだろうか。余っても困るが足らなかったらどうするのだろう。施設で用意するだろうが物が違いばこれもつらい。善意は相手の立場に立ってやらないと、受けとる側が困惑する場合だってあるだろう。その点物よりもお金で好きなように使ってというのがいいのかも知れない。若いとき、職場で困っていそうなので手助けしてやると「小さな親切大きなお世話」とよく言う人がいた。助かることは互い分かっていたからどうってことなかったが困る善意も困る。でもこういうのをきっかけに、自己中心的世界から他者に目を向けていく世界が広がれば、そして相手の立場に立って自分が何ができるかを考え、行動できたらいいなぁと思う。日本人も捨てたものではないなと思った出来事である。