2011年2月27日日曜日

キリストの栄光

聖歌402番「おかのたてるあらけずりの」の歌詞の最後の部分に「じゅうじかのなやみはわがつみのためなり」とある。この言葉にクリスチャンであれば誰も否定する者はいない。

しかし、何故イエス様はユダヤ人に限らず誰もがつまづくような形で来られたのだろうかと思ったりする。勿論聖書のことばで説明はつくことは分かっている。しかしである。聖書の中によく逆説的なことが書かれている。これとも関連があるのだろうか。

当然のように受け取っているものを逆の視点で見るとまた違った展開があるのではないだろうかと思うことがある。あるいはそのほうが正しい視点であったりする可能性もあるだろうなと思う。良くこれは偶像礼拝だといわれることが良くある。お焼香もそのうちのひとつである。しかし、マモンについてはあまり触れることはない。ある面を強調すると肝心なものが見えなくなることってあるなぁと思う。こんなこともそのひとつのような気がするがどうなのかな。