2011年3月14日月曜日

明日に向かって

未曾有の地震、余震も続いている。災害の現場はほとんど手付かずのように見える。テレビは断片的にしか観ていないが、繰り返し津波の映像と、専門家の解説が流れている。惨状や人々の悲喜こもごもの姿を映し出している。膨大な残骸をどう処理するのだろう。最終的に亡くなられた方は1万を越すようだ。指揮系統を確立して、一日も早く住民が生活できる状態に回復して欲しい。

日本は、今、政治を含めてどこか閉塞感がある。今回の地震は、それに追い討ちをかけるような気がしている。しかし、このできごとを通して、日本に必要な物、失った物、本質的なものが何であるかを知る機会となれば、それはそれでいいいことではないかなと思っている。これを機会に日本再生を確立して欲しい。素人が大袈裟かなと思うが明日に向かって行くしかない。

原発もいい経験である。情報開示なんて言っても肝心なものが隠されているような会見なんて茶番だ。国民を愚弄するものであると怒りを覚える。原発はどこが安全なのか、危険なものであれば幾重にも補完するものがあってしかるべきではないだろうか。こうこうこうなっていますから安全ですといっている割には、こうこうこうとなっていない。原発があらゆる危機管理意識の薄いことを象徴的に示しているような気がするが言い過ぎだろうか。

私たちは成功から学ぶことよりも失敗から学ぶことが多いのではないだろうか。そういう意味で今回は大いに学ぶべきことを提供してくれたのかもしれない。それにしては多くの人命を失ったその代価は大きい。

二十世紀は人類が求めた幸福が幻想であることを提示した。それを踏まえて、二十一世紀は人間中心主義から神中心主義へと舵取りをする必要があるように思う。従来のキリスト者ではなく、聖霊によって変えられた者とならなくてはならない。それを求める前に自分が答えを出さなくてはならないだろう。出来る出来ないはわたしの力ではない。老い先短いものに何が・・・。