2011年3月31日木曜日

違った視点

信仰生活が長くなると聖書の視点で物を見、考える。そして、そこから結論を出してしまう。しかし聖書からといっても自分の聖書理解からの視点であって、必ずしも聖書からとはいえないだろう。同じキリスト者でも見解や結論が天と地ほどの違うことがある。同じ教会の中にあっても現実にある。 それよりもキリスト者でない人たちの視点が理解できなくなっていることに気づかされることがある。ある面で怖い。福音書にでてくる律法学者やパリサイ人の思考である。メシアを待ち望んでいながらメシアが来られたときにそれを受け入れることが出来なかった。自分とダブルが結論は違ってもその視点は理解できるようになりたいものだ。そうでないと痛みとか苦しみを理解することが出来ないような気がする。違った視点ではなく狭い視点かな。