2011年3月10日木曜日

to be 出版

to be 出版社というのがある。その名称の由来が、
『「to be」という名称は、東京大学総長であった南原 繁(1889-1974)の言葉、「何かをなす(to do)前に何かである(to be)ということをまず考えよということが新渡戸稲造先生の一番大事な考えであったと思います」からとられました。 』とある。

いつ頃だったか、キリスト教界で「being」、「doing」という言葉が流行った。田中信生牧師の「そのままのあなたが素晴らしい」という本を持っているので、出版発行日を見たら1996年になっている。その頃の前後かもしれない。今でもこの二つのことばをみることがあるし、神の視点と人間の視点を見る思いがするから、新天新地が来るまでこの言葉は生きているのだろう。

わたしが集っていた教会は伝道に熱心で、信仰生活即教会生活であり、活動イコール信仰的を当然と受け止め、そのために犠牲になってもそれを犠牲とも思わなかった。何もしていないと罪悪感を感じることがあるのはその影響もあるのだろうかと思うことがある。そんなところに「何かをする」のではなくて「存在」していることが素晴らしいというう言葉は新鮮で生き生きしたものだった。多分その頃工藤信夫さんの本が出版されて読まれるようになったこともあったのではと思う。そのとき新鮮に感じたこの言葉がすでに半世紀も前にキリスト者が語られていたことに驚いたが驚く方がおかしい。そしてそのような信仰の在り様もおかしいと思うのはわたしだけかな。

出版社の由来を知るきっかけになったのは、1996年11月に「第3回南原繁シンポジュウム」「南原繁の信仰と思想に学ぶ」という講演会を聞きに行って知った。この集まりは毎年行われるみたいで、今年も11月に神田一ツ橋の学士会館で行われる。ここの資料とか本を作成していて、そのときはそれだけだった。

南原繁に興味を持っていたのは、吉田首相が「曲学阿世の徒」と言わしめた人物とはどんな人物だろう。内村鑑三を師と仰ぐなら無教会人だろうし、内村は聖書の勉強には簡単に入れてくれなかった。昔高橋三郎先生は聖書講義を聴きに来た若い学生に「ここは興味を持ってくるところではなく、真理を探究するところだ」と、教会などでは来てくれるだけでも歓迎するのに、興味だけなら来てはいけないことを言われたと聞いて、無教会の厳しさを感じていた。矢内原忠雄にしても、写真を見ると如何にもいかつい顔をしている。長谷川町子の漫画に、ぺちゃくちゃしべっている人たちが矢内原のカランコロンと下駄の音がした途端、ピタッと会話がとまる。そんな漫画がある。実はこの話を以前いた教会のHさんにしたら怪訝な顔された。彼女のお父さんは無教会の伝道者で若くして亡くなって、その友人であった矢内原がお父さんの代わりをしてくれたと本人から聞いていた。優しい人で全然怖くなかったといっていたが考えてみれば友人のお嬢さんで、その友人は亡くなって自分が父親代わりならそんなものかなと後で思ったことがある。外の顔は違うのである。Hさんに怒られそうだが。

そんな無教会のイメージがあり、吉田首相の言葉に「全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうとするのは、日本の民主政治の危機である」と強く反論しているから、どんなにいかつい人間かと思っていた。しかし写真を見たら白髪の温厚そうなおじいさんであり、どこからそんな気骨があるのだろうと思わされる。高橋三郎先生が師と仰ぐ三谷隆正先生は端正な日本人離れをした端正な顔をしている。この方は若くして亡くなられたが非常に謙虚な方であると何かで読んだことがある。この方とは親友でもあるそうだ。

戦後最初の東大総長として選ばれたというだけでもその人そのものをうかがい知れる。それ以上に優れた教育者であることが優れた教育者が育っていることをみれば、教育とは対極にいる人間でもわかる。南原の次に東大総長となった矢内原はキリスト教の伝道に熱心だったが南原はどちらかというと教育に心血を注いだようだ。だから「南原繁研究会」なるものができ継続されて会がもたれているのだろう。このふたりは内村の弟子でどこか好対照である。