2011年4月6日水曜日

新しい天と新しい地

ペテロの手紙第二の三章に終末を思わせる箇所がある。ペテロは最後に「・・・新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」と締めくくっている。このような天変地異や今の世の中の動きを見て、終末が論じられる。ある種の恐怖感を煽るようなもっていき方はどうだろうと思うことがある。 テサロニケ第二にある空中再臨、これが七年の患難期の前か後かとの論争がある。患難期後であると大患難に耐えられるかとの懸念があり、結論付ける知識はないが、どちらが正しいかは個人的には定かでない。今回の地震と津波、それに原発の様子を見ていて、これが有史以来初めての出来事ではなく、絶えず繰り返されてきたことである。私たちはそのような基盤に立って生きてきた。それに英知を持って時には克服してきている。新約の時代になって、まもなくユダヤ人は悲惨な経験をされる。勿論キリスト教徒も同じような経験を繰り返ししてきた。人と人との関係の中に、自然との関係の中にその基盤が如何に脆いかを教えてくれた。 今は、その脆い基盤の上に生きなければならない。しかし「…神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」と言われたものが、アダムの罪によって損なわれたとしても、すべてが反故になったわけではなく、約束された「新しい天と新しい地」が備えてくださっている。患難も再臨もそこに行く過程と見たら失礼か。約束の地は新天新地なのであるとそこに目を向けたいなと思っている。