2011年4月19日火曜日

大本営発表 

枝野官房長官はまじめそうな人だ。しかし官房長官の原発の報告を聞いていると昔の大本営発表とどこかダブル。嘘は言ってないだろうがもっと大切な事実は言っていないような気がする。後手後手のような発表をしている避難区域拡大や原子炉の状況の報告を聞いているとそんな感じを受ける。すでに分かっていることを最後の最後まで公にしない。正直に危険性を発表して国民に理解を求めたほうがいいと思うが原発行政が間違っていることを告白するようなものだから勇気がいるだろう。正直言ってそんなことは出来ない。それより行くところまで行って被害を大きくしてからでないとできないような気がする。

今年の初めにNHKが四回のシリーズで「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を放映していた。私は三回目かを見ただけだったが驚いたのは戦争に進んでいく過程があまりにもいい加減なのに驚いてしまった。後でHP を見たら『日本のリーダーたちは、国家の大局的な視野に立つことなく、組織利害の調整に終始し、最後まで勇気をもった決断を下すことはなかったのである。』と照会文の最後に書かれている。http://www.nhk.or.jp/special/onair/110306.html
それと今回の過程を見ていると全く同じなのに驚いてしまった。走り出したら止めることができない。そして末端の人たちに付けを回して、彼らは何もなかったように去っていくのだろう。国を思い、人を思うことはなく、自分の立場や組織、そして現状を守るということしかできない。

もう避難した人たちの多くは元に帰ることは出来ないだろう。補償も彼らが満足するには程遠いものになるような気がする。国民も税金を使うことに反対するだろうし、東電が地元に払った金額がその一部にされてしまうかもしれない。踏んだりけったりである。

民主主義とは少数者の意見を聞くというかそのような意味合いがあると何かで読んだ気がする。違った意見は排除することはあっても受け入れることはありえない。原発反対者に対しての理解を示してそのための手立てを少しでも考慮に入れていればこんなことにはならなかっただろうにと思う。出来ない相談だが。

最も危ないといわれている浜岡原発はわが中部電力のものである。あそこが可笑しくなったらもろ影響を受ける。あそこは傍観者ではなく、即被害者になる所だ。しかし危ないといわれているものが危なくなることはないような気がするがどうだろう。だからといって安心しているわけではない。原発もクリーンだランニングコストが一番低いといわれているが放射能を含んだ廃棄物の処理はその念頭にはない。それを考えたら高いコストになることは間違いない。 原発はやめるべきである。