2011年5月7日土曜日

わが家のGW

毎日が日曜日状態のわが家だが形だけでもとGWに出かけることにした。4日には菅平のヘルモン山荘の学び会に行く、といっても午前中の学びとその後のデスカッションに出て、昼食を食べて帰ってきただけである。久し振りにデスカッションなるものに出て、聞いてまとめるという元々苦手なものだったが今回さらにそれを確認させられる。若者が多かった所為か、この集会がどちらかというと行動的なことを「善し」とする傾向があるように感じているので、そういうこともあるのかなとも思った。どちらかというと静的なものを好む傾向にあるのでこうなったのかもしれない。ヘンリーナウエンはあまり話題になりそうもない集会だから、でも若くないことを実感させられ、自分の姿も見えてよかった。

6日には、南信から木曽を回っての日帰り300キロ余りのドライブを敢行する。朝8時に出発、高速で松川インターで降りて、フラワーラインという農道を走り、U先生のお父さんの実家の前を通って元善光寺による予定だった。しかし、その前に国道に出てしまったので行き過ぎてしまった。はじめて行く所は大体チョンボする。少し戻りながら第一の目的地「下栗の里」に、ここも地図と少し違うので戸惑ったが看板に従って走るが十字路に看板が出ていない。感で右折してしたすら山道を走る。長野県は観光県の割には案内板が途中で消えてしまうことある。案内板に従って走っていて、十字路になって迷ったことが何回かある。感で動くと大体間違うが今回はよかった。

地図で確認していた所に出たので上流に向かって走るり三遠南信自動車道矢筈トンネルという長いトンネルを通って、旧上村地区に着く、川添に走ると目的地に着くのだが尾根のほうに上がると「しらびそ高原」に行くので道が心配だったが折角だからとそちらに行くことにした。途中まではよかったがさらに進むと案の定、すれ違うことができない狭い分が随所にある。向こうから来たらと心配しながら走る。六日にしたのはそのこともあってのこと、それと山が急峻なのでガードレールがないところは背筋がぞくっとする。細いビニールテープが張ってあったりするがそれだけでも安心感があるのは不思議である。小心者の慄きかな。峠の近くにホテルがあったのには驚く、二千メートルの美ヶ原にもホテルはある。でもあそこの道は崖があるが広い。峠には県外ナンバーの車が数台止まっていた。山はみな急峻でその先にある南アルプスの山のすぐそこにある感じである。信州でもこんなところがあることを知る。

道は急ではないがカーブ、カーブと続いて、鏡も少なく、気を張りながら降りていく、落石の石を避けながら少し恐怖感を覚える。ようやく集落に降りて来て、手前の千メートルにある「はんば亭」で地元のそばと二度芋という田楽を食べるが美味しかった。こんにゃくも地元産らしく買ってきた。写真のように集落全体は見えないが急峻な地にへばりつくように集落がある。歩いて15分のところに「天空の里、ビュウポイント」があったが先を急ぐのでパスした。というより急峻な地を眺めるのは少々という気もあった。そこからだったら集落全体が見えたかもしれない。ゆっくり降りていく、後からドカッテイに道をゆずり、オートバイの後を降りたら、家々の前を通るが車一台やっと、それにガードレールなし、慎重に降りる。そして下の集落にいくまで結構な時間がかかった。川添にある点在する集落もあるが、それとは別に何であんな高いところにあるのだろうと不思議に思った。飯田市に戻ったが結構な距離がある。あんな辺鄙なところに、昔はどういう生活をしていたのだろう。町に出るには大変だったと思う。しかし、諏訪から高遠、旧長谷村を通って、旧上村を経て遠山郷から浜松に抜ける国道152号線なのである。何箇所か未舗装で冬季間は通行止めになる。信州は面白い所だ国道がこうであるかと思えば自動車専用道路のような農道もある。北の信州の山道も興味を持った。いつか飛騨や白川と北の信州に行こう。日本の里100選に選ばれているそうだがまた新しい信州を知る。二度と行くことはないと思うが。トンネルだけの三遠南信自動車道、でも地元にとっては貴重なトンネルである。

飯田市街に戻り、豊田何キロの看板を見ながら木曽に向かう。昼神温泉の脇を通って、清内路村、南木曽を通り、妻籠で少し散策するがそれ程見るものはない。奈良井より小さく、お店も小規模、寂れた感じがする。馬籠はパスしたが藤村ゆかりの地、無理しても行けばよかった。神坂PAからすぐなのだからあそこにスマートICができたら便利だが着けて欲しい。

そこから寝覚の床を見て、奈良井に行くがすでに店はしまっていた。人のいない町並みを歩くのも乙なもの、二三度来たがまったく記憶がない。「おひさま」の舞台にもなっているから人出は多かったのではないだろうか。そんな中に一軒の玄関の脇に大きな黒板があって、そこに聖書の詩篇が書いてあった。口語訳と書いているから大分古い人のようだ。新改訳といわずとも新共同訳がある。信州には無教会関係の人が散在しているようだからその一人かな?

じっくりではなく、駆け足は性格上のものと、じっくりは金がかかるが駆け足は走るだけみたいでお金がかからない。そんな事情もあってのわが家のGWであった。それに家内とは興味が違うから一人でないと駄目なこともある。小諸懐古園脇にある小諸義塾、そしてその中にある内村鑑三や明治の錚々たるキリスト者たちの写真を見ているだけでわくわくする。穂高にある井口喜源治記念館も然り、家内を含め集会の人たちはまったく興味を示さない。喜源治を新宿中村屋の創業者である相馬愛蔵は援助していたが、彼の禁酒禁煙と妥協のない厳しさに対して、多少批判的でもあった。そんな非信仰的な事にすこぶる興味を持ち、肝心なことはいたって知が無い。ある牧師のブログに「無学歴、無資格」と書いている。どうも関東の教会で奉仕していたときに、そこの教会員の大学教授に言われたようだ。これはブログを読んで感じたのだがもし間違っていたらお許し願いたい。まさに私を差し置いてである。牧師がこうなら私はさらにとどこか開き直っている。