2011年6月1日水曜日

老いの才覚

曽野綾子さんの「老いの才覚」を読んでいる。あの方の書かれた本は好きなような嫌いなような、ちょっと複雑である。多分共感する部分と反発する部分があるからだろう。率直に書いているのは分かるがどこか厳しい。しかし示唆に富んだ言葉も少なくない。

正しいかどうか分からないが「老いをどう生きるか」を問うているように思える。そして、多くの老人がそのように生きていない。反省するところもあり、これからの行き方に参考になる。生きる姿勢の問題、聖書の中にその答えはあるが、老キリスト者は自分を含めあまり生かしていない。老化度を測る「くれない指数」は面白い。耳が痛いが自分でできることは自分で、自立した人間になることが大切であることが良く分かる。そうすればお世話になる時に卑屈にならずに感謝して過ごせるのかもしれない。

「老いを生きる」。老いはその人の生き方を裸にする。だから真摯に生きる生き方が求められる。人の目も気になるが、主権は我になしと、主のみこころを求めて生きれたらと願う。