2011年7月1日金曜日

棄民

放射能汚染で避難する地域が増えたニュースを見ていて、この人たちは本当に帰れるのだろうかと思った。帰れても土壌は汚染されているから農業は出来ないだろう。国や一企業の過ちで、ふるさとを捨てなければならない人たちの心情を考え、政府や東電は時間がたてば何事もなかったように振舞うだろうと思うと怒りがこみ上げてくる。そんなことを思っていて、ふっと思ったことは、明治の時代に起きた足尾鉱毒事件である。似ているなと思った。

足尾銅山の鉱毒で渡良瀬川流域は、川は勿論、肥沃な土地も洪水のたびごとに鉱毒で汚染されていく、ついに谷中村は廃村になって、渡良瀬遊水地となる。他にも二つばかりの村が廃村になった。富国強兵と突き進んでいく政府とそれに乗っかっていく企業、国や企業優先のやり方は、そこから何の益も受けることもなく、逆に公害を受けて、いのちの危険に、死活の問題にさらされる。

戦後はそのようなことはなくなったのかなと思ったらしっかり生きていた。サラリーマンと違って、土に生きている人は土地があればどこでもいいというものでもないだろう。それでも土地があればと思うがどこにあるのだろうか。谷中村は北海道に土地を与えられたそうだが定着する人は少なかったようである。

人は政治が混乱していると強いリーダーシップを求めてくるだろう。これは滅びに向かう序章になる可能性が大だと思うが穿った見方であろうか。見えないところで確かな動きがあるような気もする。そんなところにも目を向けて行きたいものだ。